susumulab

http://susumulab.com

« バットマン・ビギンズ < >mainpage > 20% »


◆ロンドン

朝方、London Euston駅に着いた。近くにある安いホテルを探して
とりあえずそこに泊まることにした。ロンドンの日々が始まった。

思えば、日本を飛び出して一ヶ月あまり、
落ち着くこともなく北欧を一回りしてきた感じで気の休まる時はなかった。
それでも、いろんな人に助けられたり美しい風景に出会ったりしながら
ここまで来た。漱石や熊楠のいた町、ロンドン。
ジュール・ベルヌの『八十日間世界一周』の出発点になった町、ロンドン。

鼻にかかった円やかな発音が心地いい。
少し耳が英語に慣れてきたのかもしれない。

ぼくはまだこれからの自分を決めかねていた。
設計の仕事を探すのか、学校に行くのか、まだ見ぬ世界を見て歩くのか。

とにかく情報が引き出せそうなところに手当たり次第に連絡を取った。
建築家協会や日本人クラブに出向いて行き、事情を説明して
設計に携わる日本人を紹介してもらい、彼らに会って話を聞いた。
ランカスターで世話になったマーク氏の友人である建築家とも
コンタクトを取ってもらった。

AAスクールにも行った。普通のアパートメントなんだけど実は学校。
面白そうな場所だった。
事務局にはサンドラというとても親切な女性がいて、編入学のことも含めて
丁寧にアドバイスをしてくれた。
彼女からこの学校で講師をしている日本人を紹介してもらい
ロンドン郊外に彼を訪ねて作品や設計の話を聞かせてもらったりもした。

最初に泊まったホテルが酷かったこともあるけど、ホテルを転々とした。
最終的にはセント・ポール大聖堂の近くにあるユース・ホステルに落ち着いた。
このユースは便利のいい場所にあり居心地もよく長居した。

この大聖堂は、生涯に設計した教会の数はこの人が最高ではないかと思う、
クリストファー・レンの代表作である。
彼は、1666年のロンドン大火の復興に尽力し
建築以外の分野の天文学や数学に於いても才能を発揮した万能の人である。

また、この教会の近くには珍しく日本の書店もあった。
ただ、当然のことだけど値段は高く文庫本でも3倍の値段はしたかな。

ぼくは、この街でパブにはまってしまった。
なかでもお気に入りは、ユースからはちょっと歩く距離だけど
地下鉄のブラックフライヤー駅の横にあるパブだった。

パブは、まあ立飲みかスタンドバーみたいなものなんだけど
もっと奇麗だし、歴史を感じさせる風格がそれぞれのパブにある。
そして、必ず奥か何処かの一角に座って食事のできるグリルコーナーがある。

なんといっても、パブのカッコ良さはカウンターの中にいる人(女性)だ。
髪型はポニーテール、パリパリに糊の利いた真っ白なシャツに黒の蝶ネクタイ、
そして黒のタイトスカート、と大体決まっていて所作は常に機敏で美しく、
しかし客には全く媚びない、至ってクールな態度。プロフェッショナルだ。

その後、この国にいる間中行く先々のパブに入り浸ったが
どれひとつとして同じものはなかった。

アメリカに渡ったとき、このイングリッシュ・パブが懐かしくて
探しては入ったけどこうはいかなかった。
今も変わってないだろうか。そうであってほしい。
今でも、この気分に浸りたくなると曽根崎か堂島の『サンボア』に足を運ぶ。
尤も、カウンターの中にポニーテールの彼女はいないが。

人と会う合間を縫って、あちこちに行った。

例えばバース。バス(風呂)の語源になった場所だ。
ローマ時代の遺跡がしっかり残っていて綺麗に整備された町だった。
街並みは、家々がピッタリとくっ付いていて、色や窓に若干の変化はあるけど
ほぼ同じファサードのパターンを連続して通りに対する壁面を形成している。

変な記憶だけど、ここで食べたアイスクリームが何故か後のアメリカ以上に甘く
美味しかったことがいまだに忘れられない。
ウィンザー城にはレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿があるので絶対に見逃せなかった。
それからウィンブルドンのセンターコート。
電車の駅名に「ウィンブルドン」があったので急に思いついた次第。
その日その時のためだけの場所、これこそ場所性というか「場」の力を感じる。
イギリス人はこういう演出が実に上手い。

日本の新聞社の支社にも出向いて行った。
これには理由があった。
阪神タイガースの戦い振りが知りたかったのだ。
日本を離れるとき、ひょっとしたら二十年ぶりに優勝するかも知れない
という位置につけていた。
今世紀(二十世紀)中の優勝はない、とまで囁かれたダメ球団がである。
関西は大騒ぎだった。

当時はインターネットなど普及していないからこのような情報を得る術がない。
だから、ロンドンにある日本の新聞社の海外支社に行って事情を話し、
置いてある新聞を見せてもらうことにしたのだ。
応接してくれたのは日本人の女性だったけど、時代なのか話を聞いて簡単に
中に入れてくれた。今ならあり得ないだろう。

彼女は、一般紙とスポーツ新聞(系列の違う新聞社のものだった)の束と紅茶を
ソファの前のテーブルに置いて
「ごゆっくりどうぞ」
と言って静かに応接室から出ていった。
ここがロンドンであることを忘れてむさぼるように読んだ。
目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
ぼくは、彼女の気遣いに感謝した。

郊外に人を訪ねての帰り、たまたま駅のトイレで落とした本を
拾ってくれた人が人懐こく話し掛けてきた。
「日本語の本? 日本人ですか?」
牛乳ビンの底みたいな分厚いめがねを掛けた、
見るからに人のいい中年男性だった。

コメント

copyright(c) 2005-2009 susumulab all right reserved.