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18 07 13

『ヨーロッパ退屈日記』伊丹十三

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)




今から半世紀前の1960年代初めのヨーロッパを
二十代の若さで体験し味わってきた伊丹十三の目は
たしかにちょっと背伸びしている感じもするけど、
日本人としての誇りとユーモアに富んだ知性が溢れている。


今でも外国に独りで行けば
自分が日本代表であるかのように意識してしまうのは普通のことだから
戦後二十年も経っていない時代に
日本から俳優としてヨーロッパに出向いていれば
多少いかり肩になるのも無理はないだろう。

しかし、多才な彼のデザイナーとしての目が、
そんな愛国心を超えて
物や行為の中に育まれた洗練を鋭くユーモアを交えて評価する。
彼自身の手になる挿絵は、その目力の確かさを物語って余りある。


文章がまた稀有だ。
まあエッセイだから文体は自由でかまわないのだけど、
それで読者への距離感を作り出す手法が実に軽妙で洒落ている。

ときに厳しく、
ときにくだけた感じで、
また、ときに節度正しく、
同じ文章の中でも全く自由自在なのである。

でも、その文体の乱れは単なる語用の乱れではなく、
生きた人間のこころの立ち位置を示すかのように、
読者に近づいたり遠ざかったりするのだ。

何という立体感。
まるで映画みたいじゃないか。

と思って、彼の初期の映画『お葬式』や『タンポポ』を観ると、
それは全く文章で培った手法を映画に転用しているかのようだ。
スパゲッティの話などは『タンポポ』にそのまま引用されている。

挿入されるパーソナルな目線は、
一見本編とは無関係にみえて、
その実、食の中に潜む「エロスとタナトス」を強烈に刺激し
本編のラーメン道を高めてゆく。
その映像の分裂と融合はある種の触感を伴う性的快楽ですらある。


映画を観たあと、また読んでもよろしいのではないでしょうか。

posted susumu
11:21 PM | comment(0)