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◆「狭い」は広い

物理的な「狭い・広い」は確かにありますが
視覚的な「狭い・広い」は感覚的なもの、という話。

たとえば、「敷地が狭い」「庭が狭い」とか「部屋が狭い」などと言いますが、
これは物理的な空間のボリュームに反応しているというより
視覚的に感じた印象であることが多いのです。
この視覚的な印象をずらすことによって、実際の空間のボリュームとは関係なく
「あれっ、案外広いなあ」とか「何かゆったりできる」というような印象に
変えることができるのです。
狭小地だからといって「狭い」わけではなく工夫次第で広くも狭くもなるのです。

その方法を思いつくままに列記してみましょう。

まず、最初に思い浮かぶのが「導入部を狭く・低く・暗く」です。
これは、たとえば京都の狭くて暗い路地を通って暖簾を潜ると
ポッカリとした程好い広さの空間に包まれる、みたいな感じの演出です。
これは、目的の場所がそれ程広くなくても、そこに至る道程の経験が
ひとつの指標になって目的地を相対的に認知することから起こる現象です。
ですから、道程を「狭く・暗く・低く」しておけば目的地の空間は
導入部との比較で「広く・明るく・高く」感じることになります。
路地があのように、狭くほの暗いのにはそれなりの理由があったのです。

住まいでいうと、たとえば玄関ホール・廊下の天井を低めに抑えてやると
リビングなどの天井がより高く開放的に感じるようになります。
このとき、更に壁と天井のコーナーの納まりにも注意したいところです。
視線がスムーズに抜けて行くように工夫することで広がり感が強調できます。
この工夫を忘れると折角の空間が小さく固まってしまいます。

二つ目は、「見せない・見せる・半分見せる」という視野のコントロール。
人間の視覚情報は類推して補完することによって構築されますから、
たとえば僅かな視覚情報でも犬とネコの区別ができたり何をしているかが
判断できたりします。
この「想像力」を上手く利用して広がりを演出するわけです。
たとえば、部屋の一部分を見せないようにすることによって
見えない分だけ広く感じさせることができます。
また、壁を天井まで上げないで途中で止めることによって、
視覚的には天井が更にずっと奥にあるように感じさせることができます。

庭を見せるときも、この視角の三段階は有効です。
玄関に入ったとき、地窓(床面からの窓)を切って庭のごく一部を見せるだけにすると、
見えない部分への想像力が働き庭は無限の広がりを得ることになります。
また、視角を制限することで、ひとつの庭を何種類もの庭に見せることも可能です。

三つ目は「見通しの目線」。
これは、屋内のどこかで端から端まで見通せるラインを設けるということです。
どこか一ヶ所でもあれば十分です。しかもさりげなく。
その一瞬が空間の連続性と重層性を印象付けて奥行き感を誘発します。

四つ目は「対角線の視角」です。
これについては、前の「対角線の妙」で書きましたので詳細は割愛しますが、
そこでも触れましたように、
これらの手法を最大限に使って濃密な空間を創り上げているのが茶室です。
アプローチも含めて、茶室には学ぶべきことが多いです。

建築の価値は、ものの大小ではない、ということですね。

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