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21 06 08

攻殻機動隊(GHOST IN THE SHELL)

GHOST IN THE SHELL~攻殻機動隊~




このアニメを映画館で観た人はあまりいないだろう。
ぼくもずっと後になってからDVDで観たが
そのときの衝撃は今も新しい。
それが全編リニューアルでこの7月12日から劇場公開される。

ハリウッドなどの映像世界に強烈な影響を与えた
ジャパニメーションの代表格のひとつがこのアニメだが、
公開当初映画館ではヒットしなかった。
それはアメリカでも同じだったが、ビデオになってから大ヒットして
ビルボードのセルビデオ部門で一位になった。
その事が夜のニュースでも取り上げられていたのを覚えている。
一瞬流れたカットが実に印象的で、それだけで「観たい」と思った。

1999年に『マトリックス』が公開されたとき
重力を超えた実写(アニメじゃないという意味だが)表現の凄さに
すっかり酔ってしまったが、監督のウォッシャウスキー兄弟が
『攻殻機動隊』を強く意識していることを知って更に観たくなった。

大分経ったある日、ようやく店頭でDVDを発見して即購入。

観て驚嘆。

まるで『マトリックス』の絵コンテが『攻殻機動隊』みたいな印象。
勿論、『マトリックス』には『マトリックス』の映像的な面白さがあるし、
大好きなSF映画の一本だが
オリジナリティの高さはもうまるで比較にならない。
ウォッシャウスキー兄弟が
このアニメの監督を畏敬するのは痛いほど分かる。

両方とも電脳世界を描いた物語だが
その原点はウィリアム・ギブスンのSF小説『ニュー・ロマンサー』にあり
電脳世界に入って行くところは映像に頼らない分
小説のほうが返ってリアルな感じがする。
また、その中で描かれる都市風景は『ブレードランナー』の匂いが漂う。

扨、『攻殻機動隊』は、二人の強烈な才能によって生まれた。
ひとりは、この電脳世界を視覚化した漫画家士郎正宗。
そして、もうひとりが映画監督押井守だ。

原作の漫画の方は、主人公のイメージが崩れそうだし
(って原作がオリジナルなんだが)
作画タッチがごちゃごちゃしている感じがしたので
書店にないことも手伝って読まなかったが
テレビ版の『2nd G.I.G.』のラストが原作を踏まえたものであると知って
遅ればせながら今年になってようやく手に入れた。

読んで感じたのは、その緻密さと理屈っぽさだ。
コマの枠の外にびっしりと書かれたモノローグは半端じゃない。
その設定や位置付けが異常に細かい。
現在放映中の『RD 潜脳調査室』は、士郎正宗氏によって描かれた
もうひとつの電脳世界のお話だがこれもまた面白い。

押井監督も、昭和の全学連を彷彿させるその風貌と合わせてかなり理屈っぽい。
二人とも理屈っぽいのだから、できた映画は当然理屈っぽい。
しかし、其処には、義体化した人間の存在の意味と価値を追求して、
哀しくも美しい世界が広がる。
“GHOST IN THE SHELL”
それは電脳であるが故の切実な問いかけなのだ。

そして、その世界はリアルな世界としてもうすぐそこに来ている。
生まれて数年の神経工学という分野では
既に機械と肉体の融合が始まっている。
どこまでが生物でどこからが機械なのか分からなくなりそうだが
元々精神や魂を別にすれば人体は器械だし、脳は集積回路に過ぎないから
案外簡単に外部接続に適応して機能や能力を拡張させて
賄いきれない地球を離れて宇宙に出て行く運命なのかもしれない。

『攻殻機動隊』の映像は実にカッコいい。
ウォッシャウスキー兄弟ならずとも一度観たら忘れられないだろう。
光学迷彩には痺れてしまう。多足型の戦車や有翼ヘリなどメカも凄いし
何といっても強烈なのは、「少佐」と呼ばれる草薙素子の存在だ。
テレビ版も高い完成度で捨てがたい。

音楽の川井憲次がこれまたいい。特に謡曲をモチーフにした曲は
その哲学的な詞と共に独特の雰囲気を創り出すことに成功している。
後の『イノセンス』でもその流れは踏襲されているが
個人的には、映像も音楽も『攻殻機動隊』のほうが
完成度が高い気がする。

その意味では、『攻殻機動隊2.0』として今回手を入れた映像の
「完成度」を映画館で観るのはとても楽しみだ。

『マトリックス』に限らず『攻殻機動隊』のエピゴーネンは数多いだろう。
そのカリスマ・アニメもまた
『ブレード・ランナー』の強い影響下にあることを考えると
改めてこの映画の凄さを思わざるを得ない。
いいものはこうして繋がって行くんだなあ。

posted susumu
07:58 PM | comment(2)

05 06 08

ロゼッタ・ストーン

この石が発見されなかったら、ぼくたちの前に
古代エジプト史がこんなにも鮮明に描かれることはなかっただろう。

小さい頃、
あの巨大なピラミッドが砂漠のど真ん中にどのようにしてできたのか、
また、どうしてあの象形文字が読めるのか不思議でならなかった。
発掘した遺跡を調べてどのように分類したところで、
推測はできても解読などできるはずがない、と思っていた。
あるとき、それはとんでもない石碑が発見されたことで
初めて可能になったことを知ってぼくは驚いた。

それがロゼッタ・ストーンと呼ばれる石碑だった。
そして、それはナショナル・ギャラリーとともに楽しみにしていた
大英帝国博物館にあった。

何故この石碑が凄いのか。
そこには同じ内容の文章が三種類の文字で書かれていたのだ。
それは古代ギリシャ文字とヒエログリフ、そしてデモティック。
そのうち古代ギリシャ文字だけは既に読めた。

ここからヒエログリフの解読という知の冒険が始まるのだが
それには、ひとりの天才の登場を待たなければならなかった。

いや、「待つ」というより
彼はヒエログリフを解読するために生まれてきたというべきか。

言語学に飛び抜けた才能を持った若き天才、シャンポリオンその人である。
小さい頃にヒエログリフを見せられた彼はその美しい絵文字に一目惚れしてしまう。
そして、その文字が誰にも解読できないことを知り謎解きを宣言するのだ。
それから、語学の猛勉強に明け暮れる。

この天才をしても、
そしてこの石があっても、
ヒエログリフの解読は困難を極めた。

文字の解読とはそれほどに難しい。

マヤの遺跡に刻まれた膨大な数の絵文字も
ロゼッタ・ストーンのような「物指し」が発見されないから、
殆ど何も解読されない。
ピサロを含むスペイン人があれほどの壊滅的な蹂躙を犯さなければ、
クレオール化の過程で解読に繋がる「物指し」ができたであろうに
今はそれが文字であることが分かるだけで、
総ては歴史の闇に消えたままだ。

シャンポリオンは、
カルトゥーシュ(楕円の囲み)の中が固有名詞ではないかと推測し
調べてみるとそこには表音文字の性格があることを発見して、
徐々にヒエログリフの謎に迫ってゆく。
その後、20年程の歳月をかけてようやく彼は
ヒエログリフの解読に成功するのだが、
その成功の喜びに浸る余裕もなく41歳の若さで病没する。

随分前にNHKの特集で放送されたが、
その謎解きと情熱的な人生が強烈に印象に残っている。

3種類の文字でびっしりと埋め尽くされた黒光りのする石碑は、
思った程には大きくなかったが、威厳に満ちたオーラを発していた。
それは紛れもない現代と過去を結ぶタイムマシンの姿だった。


ぼくは、ロンドンにいる間この場所に何度も通ったが
その日々も終わりに近づこうとしていた。

日本を離れて3ヶ月近く過ぎていただろうか
初めて、両親に電話を入れた。

母は電話の向こうで泣いるだけだった。

こんな機会はもうないかもしれない。そう感じた。

迷っていたAAスクールだけど、結局行くことは諦めた。

勉強なら自分でできる。

それより、世界を見てやろう。
この足でこの世界を一周してみよう。
この目で確かめてみよう。

何処かにぼくのロゼッタ・ストーンが転がっているかもしれない。

ぼくの心は決まった。

posted susumu
01:43 AM | comment(0)