cafe ICARUS

presented by susumulab

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31 07 08

オニヤンマ

急逝した母に続いて五年後
気丈で岩のようだった父もこの世を去り
だだっ広い田舎の家にはぼくひとりになった

それから毎年お盆が近づくと
ジリジリと照りつける太陽の下で
ぼくは破れかけの麦藁帽子を被って庭の草引きをする
父や母がそうしたように  黙々と

これが意外に楽しい
静かな時間の中で植物の世界をじっくりと観察できるからだ

腕のように茎を伸ばしてネットワークを広げて行くのや
蜥蜴の尻尾のように根と茎が離れやすくなっているやつ
びっしりと小さな葉を埋め尽くすやつややたらとひょろ長いやつ
葉の形や色も様々、実のつけ方も色々
落実の仕方など近代兵器並みに多様で戦略に富んでいる

その日もそんなことに感動しながら地面に向かっていた

陽射しがきつい 汗が頬を伝う

ふと背中で何かを切り裂くような音がした
驚いて振り返ったが誰もいない

なんだろう 気の所為かな
元に戻って草引きを続けた

暫くすると背後でまた音が 

今度ははっきりと聞こえる
「ビュッ」と風を切るような鋭い音だ

振り返っても、やはり何も見えない
音もしない 何なんだ、一体?

再び地面にしゃがみこみ
今度はその音を待って身構えた

振り返らずに我慢していると
たしかに「ビュッ」という奇妙な音が
規則正しく一定の時間を置いて
ぼくの背中に迫ってくるのだった

その音が消えてから
しゃがんだままの姿勢で静かに体を反転させて待った

すると
向こうから真っ直ぐな黒い塊が勢いよく飛んできた
一直線に

鬼ヤンマだ! デカイ! カッコいい!

それがぼくの目の前で鋭く直角にカクンと曲がる感じで
コースを変えてまた真っ直ぐに飛んでいった

「ビュッ」という音は切り替えすときの音だったのだ

左右に伸びた見事な羽根
ガンメタに輝く黒と緑の縞模様
優美な胴体
大きくてまん丸な複眼
機械のようなメカニズムの口

ぼくはその造形に見惚れていたが
何度目かの周回ではたと気がついた

そいつはお気に入りのコースを真っ直ぐに飛びたいのに
実はぼくの存在が邪魔になって
あのような音を立ててターンしているのではないか 

そこでぼくは体の位置をずらせてそいつが来るのを待ってみた

するとどうだ

「今頃わかったのか」とでも言わんばかりに
悠然と飛び来たって 颯爽と飛んでいった
真っ直ぐに

それは完璧な美しさだった


後記:このサイトを始めて最初に書いたエッセイが『鬼ヤンマ』だった
でもぼくの不手際でそのファイルを消してしまった
それを此処に同じプロットで再構成してみた

あのときの、鬼ヤンマの、空気を切る「ビュッ」という音は
今も耳に新鮮だ

posted susumu
12:08 AM | comment(4)

17 07 08

攻殻機動隊 2.0




13日、急に思い立ち、速攻走って転んで
(階段で足が縺れてスッテンコロリン、参った)
滑り込みセーフ
一分前に映画館の席に座ることができた

オープニングを観たとき
一瞬、初めて来た映画館なので「慌てて場所を間違えたのか?」と思った
それくらい、1995年版とは違っていた

CGで描き替えられた都市の背景やメカ、
オープニングやダイビングのシーン
それに効果音と台詞などかなり手を加えられていた
だからの『攻殻機動隊 2.0』なのだけど
一番感動したのは、やっぱりこの映画を劇場で観られたことだった
(できれば1995年版で観たかったなあ)

注目したのは人形遣いの声と性を男性から女性に変えてあったこと
それだけでこの物語が情動的な恋愛から哲学的な生命観にシフトした感じで
ここまで変わるのか、と本当に驚いた
こりゃたしかに1995年版とは別物だわ

CGの加工、特に主人公草薙素子のCG化については賛否両論だろう
義体化どころの騒ぎではないと思う
ぼくはとにかくこの映画を映画館で観られる喜びの方が強かったが
紙芝居の途中でアニメを見せられるような違和感があったのは事実だ

ひとつ思うのは、
テクノロジーが想像力を産むのではなく
想像力がテクノロジーを産むのだということだ
絵巻物や紙芝居のテクノロジーが古いからといって
内容や質まで古いわけではない

『攻殻機動隊』のすばらしさは
既にテクノロジーに寄りかかったところにはないから
CG化は重要なファクターではないのだと思う
スタニスラフ・レムの描いた「ソラリス」の想像力を表現するのに
テクノロジーだけでは追いつけないのと同じように

posted susumu
03:28 AM | comment(1)

哀しきうな丼

平賀源内に嵌められた訳ではないが
土用が近づく今頃になると無性にうなぎが食べたくなる
それもガッツリと、だ

今回起こったうなぎの産地偽装が深刻なのは
うなぎ業界全体の信頼が根底から揺らいでしまったことだ
当事者は「つい出来心でやってしまいました」
みたいなコメントを残しているが事態はもっと深刻だ

行われた偽装は単に
金と欲に目の眩んだ下品なボロ儲けの確信犯でしかない

そこには、生き物を喰らうことによって自らが生きる謙虚さも
そのために死ぬ生き物への感謝も
そして、何よりその食べ物を口に入れる人間への気遣いの欠片もない

生き物は喰われる運命ならば生きた意味も死ぬ価値もあるだろう
哀しむべきは
食べられることもなくいたずらに殺されることだ
これこそは生命の冒涜以外の何物でもない

posted susumu
01:21 AM | comment(2)

14 07 08

アンカラのミナレット

みっちりと斜面を埋め尽くす家々と
一本のミナレット

アンカラに行ったのは寒い時期だったから
記憶に残る風景も何処か赤茶けていて暗い
でも、ダウンタウンの風景はこの絵のようにカラフルで温かい

トルコと言えばイスタンブールの存在感が大きいが
首都はアナトリア半島の中心にあるこの町だ

お目当ては考古学博物館だったけど
近くはオスマン、遠くはヒッタイトやシュメールにまで遡る
その分厚い歴史はそのまま人類史で
観ていて全く飽きることがない

集落に佇む尖塔の姿に
降り積もった時間と人情を見た

posted susumu
03:09 AM | comment(4)

01 07 08

イギリスの侍

ロンドン
この街は、ぼくにとって忘れがたいものになった
ナショナルギャラリーと大英博物館に入り浸った日々
雨の日に、何処へも行く気になれなくて
日長一日ユースのベッドの中で読んだ司馬遼太郎の『世に棲む日々』
行き着けのパブ、ブラック・フライヤーで飲んだラガービール

多くの人に助けられ
多くの人と友達になった
サンドラさん、AAの神尾さん、そしてパティスンさん
みんな、本当にありがとう

荷物を纏める動作が鈍い。体が重い。
この街に長く居過ぎたのかもしれない。

でも、ぼくの気持ちはもう変わらない。

この頃、ぼくは英語で夢を見るようになっていた。
「日本語の本を捨てろ」
というベルゲンで知り合ったロスのアドバイスに従い
日本語の本は旅行案内の切れ端以外は総てユースに寄付した。
代わりに、”CHANDLER COLLECTION Vol.1”を買った。
女性デザイナーによる切り紙貼の表紙が洒落ている。
少々分厚いが、これがぼくの旅の仲間だ。

用意ができた。体も軽くなった。
いよいよ放浪の旅の始まりだ。

イギリスを離れる前に是非会いたい人がいた。
ぼくはロンドンの南にある町ブライトンを目指すことにした。
其処から東に少し行ったところにLewes(ルイス)という小さな町がある。
「困ったときに頼れ」と紹介してもらっていた人物が其処にいた。
イギリスに入国するときも「後見人」として挙げた人だ。

話は少し戻る。

この旅に出る前、ぼくは中津の設計事務所で働いていた。
その頃、中学・高校とやっていた剣道を再びやりたくなって、
道場やスポーツクラブを探したが何処もかしこも遠くて通うのは無理だった。

そんなある日、仕事で新大阪に向かう地下鉄に乗って
地上に出るところからぼんやり外の陽を見ていたら
阪急電車の高架の下で、
剣道をしている連中が目の中に飛びこんできたのだ。

ぼくはびっくりした。あり得ない光景だ。
帰りの一瞬にもう一度注意深く見てみたが、
もう剣道をしている人はいなかった。
道場らしき場所は全くの吹きさらし、
端に小さなバラックの小屋がポツンとあるだけだった。
剣道をしていなかったら其処が道場だとは誰も気付かないだろう。
でも、事務所からは近い。
ぼくは少々怯えながらも訪ねてみることにした。
それが講武館であった。

館長である太田さんのご家族は、ご本人は勿論、
奥さんも息子さんも剣道の師範という絵に描いたような剣道一家で
その温厚なお人柄と心から剣道を敬愛する姿勢は
それ自体が剣の道そのもので頭が下がった。

暫く通ったある日、ぼくがヨーロッパに行くという話をしたときに
若先生がイギリスで剣道を教えていたことがあり
日本にも来たことのあるお弟子さんがいる、
ということで紹介してくれた。
その人がこれから会う、クヌッセンさんだった。

ルイスは、小さな、しかし、丘に古城を構える美しい街だった。
駅も小さかった。
プラットホームに降りたら、クヌッセンさんは既にぼくを待っていて
人懐っこい笑顔で迎えてくれた。

その風貌は、バイキングか熊襲というのがピッタリな
古武士の感じだった。
でも、その直感は間違っていなかった。
クヌッセンという苗字は、アングロ・サクソンのそれではなく
ノルウェーの出自らしいのだ。

いくつかの名所を案内してもらいながら彼の家に向かった。
綺麗なバラ園やら歴史のあるパブやら。

中でも出色なのは、創業1300年代という
信じられないような古い本屋があったことだ。
それが真実か否かはともかく
書棚は黒光りして本の重さにすっかり撓み床まで歪んでいる。
梁と天井の間にも本が並んでいる。
おまけに斜面地に建っているので、
中に進むと本の深みにずっぽり嵌りそうでたまらない。
指輪物語はこんな場所で生まれたのではないかとつい空想してしまう。
そういえば、小学時代の図書室がこんな感じだったっけ。

空間は与えられるものではない。
自ら創り出すものだなんだなあ。
こんな書斎、欲しい。

家では、奥さんが待っていてくれた。
ロフトの美しい部屋を用意してもらい泊めてもらった。

太田館長と同じく、クヌッセンさん夫婦も揃って剣道の達人で
というか、奥さんの方が高段位者で頭が上がらないとのことだった。
お二人からは、日本に来たときのこと、太田館長のこと、剣道のことなど
どっちが日本人か分からないような話を聞かされた。

立居振舞がキリッとしていて、もうとってもサムライなお二人だ。
サッカー好きの息子さんとも会ったが
こちらは普通のイギリス人で妙に安心したものだ。

クヌッセンさんご夫婦はブライトンの町に道場(倉庫を改造したもの)
を借りて週に二三回剣道を教えていた。

そんな話になって、奥さんが急に
「そうだ、ススムは暫く剣道やってなくて体鈍っているでしょ。
これからブライトンに行くから一丁やって行きなさい。
ねェあなた、たしか倉庫に防具あったわよね。」

エーッ、ぼく、イギリスで剣道やるんですか?
(つづく)

posted susumu
03:10 AM | comment(1)