cafe ICARUS

presented by susumulab

« August 2010 < mainpage > December 2010 »


04 11 10

シャンボールの二重螺旋

「あんな風に生きられたら面白いだろうな」
ぼくは窓の外を過ぎ去る田園風景にぼんやりと目をやりながら
郵便局員ジャンの爽やかな生き方を想いだしていた。
列車は山間を抜けアンボワーズ駅に着いた。

ここで降りて
ロワール河沿いに散在する城のひとつであるアンボワーズ城を訪ねた。
この城はフランソワ一世の居城で、
レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした場所でもある。
城から程近いところに彼の館(クロ・リュッセ)があって其処も訪れたが
お昼休みで閉まっていた。
でも、中の様子は昔観たテレビの映像が頭に焼き付いているので想像はついた。
居館の前の、斜めに下がった緑も鮮やかな芝生の庭に寝転び暫しまどろんだ。

「万能の天才」と謳われたレオナルドも、
パトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)の失墜と共に
ミラノを離れ、その後は強力なパトロンに恵まれることもなく
各地を転々とする日々が続き、やや失意の晩年となりかけたときに、
このフランソワ一世の求めに応じてイタリアを後にする。
そして、二度と祖国に戻ることはなく僅か5年の後、
この館で「わが父」と慕うフランソワ一世の腕の中で61歳の人生を終えたのである。
レオナルドの人生は彼によって漸く安寧を得たような気がする。

中学校の一年だったか二年だったか、NHKとイタリアの合作番組で
生誕400年記念ドラマ「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」が放映されていた。
セットも衣装も立派だったしドキュメント仕立てでとても面白く、
小学校の頃からの憧れの人だったので、ぼくは全編欠かさずに観た。
テーマ音楽もレオナルドの作った曲が使われていて
そのときの印象が強く残っている。

そして、レオナルドといえばもうひとつ訪れたい場所があった。

この頃、ニコラス・ペブスナーの西洋建築の概略本を持ち歩いていたのだけど
その中に、レオナルドが設計したと伝えられる階段の写真と解説が載っていた。
それは「シャンボール城」という所にあるらしく、
(この城がロワール渓谷地方最大の城だとは当時全く知らなかった)
ダ・ヴィンチ・フェチとしては見逃せない。


ブロワ(Blois)駅に降りて
「どうせバスか何かあるやろ」と安易に考えていたが
観光案内所で尋ねてみたら、シーズンは完全にオフでバスもなく
城はここから20キロ近く離れたところにあるらしい。
タクシーで行きなさい、と言われたのだが無駄使いはしたくない。
さりとて、歩いて行ける距離でもない。どうしたものか。
外に出てふと見れば、レンタサイクルがある。
20キロか。
自転車なら閉館までに行けない距離じゃないないな。
よし、決めた。
足の長さに若干の不安はあるがそこは勢いで乗り越えてやろう。
と、バックパックはこの店で預かってもらうことにして、
文字通り勢いでツール・ド・フランスで使うみたいな自転車を借りたが、
やはり後で後悔した。

観光案内所でもらった、ものすごく情報量の少ない地図を唯一の頼りに
町を抜け出て国道に入った。
サドルが高く、ペダルに足は届いてはいるが、足は地面に着かない。
まるで馬に乗っているみたいだ。
走り出せば爽快だが、止まるときが怖い。
車道はさして広くなく自転車道もない、その横を車はビュンビュン飛ばす。

行けども行けどもそれらしき標識は見えない。
これは20キロどころではない距離だぞ。
観光案内所の人が「クレイジー」と言ったのを今になって思い出す。
お尻は既にひりひりと痛い。でも引き返すのもしゃくだ。
校舎の二階から飛び降りる「坊ちゃん」の気分だなあ、
と思って笑っていたら「シャトー」という標識が!
おお、遂に来たか。

ぐぐっと右に折れて(スピード出てます)、小さな集落の中に入っていった。
あっという間にそこを抜けると家もまばらに、道路は森の中に消えている。
道の他になにもない。何も見えない。
間違ったのかな、と不安に思ったが、選択肢は既にないので
そのまま森の中の一本道を突っ走った。
途中、直線で正確に交差する十字路があったので、
これは間違いない、と確信して必死にペダルを漕いだ。

暫くして、突然森が終わり、シャンボール城が忽然と現れた。
駅をでてから40分以上経っていた。
幾何学的に整備された庭と池と道に囲まれた城は
池にその姿を湛えながら
独特のスカイラインで夕闇近い空を切り取っていた。
それ自体がまるでマグリットの『光の帝国』みたいな風景だった。

殆どギリギリであまり時間がない。
拝観チケットを買い一目散に階段を目指した。

それは、城の中央にあって
ダイナミックに二重螺旋を描く美しい階段だった。
恐らく二重螺旋の動きを強調する為だろう、全体が白で統一され
透かし彫りのように重厚な手摺りと相まってまるで工芸品のようだ。
しかし、残念なのは当時のままであれば二層に渡って連続する姿が見えたのだが
今は2階の床を増築した所為で一層ずつに分断されていて
そのダイナミックさが半減していることだ。
ペブスナーの本には増床前の写真が載っているが迫力が違う。
(モン・サン・ミシェルと同じく元の姿に戻して欲しいものだ)
「伝レオナルド」ではあるが、如何にもという感じがぼくはした。

屋上に出て廻りの風景を見た。

直線で放射状に走る道が森に刻まれ、四周森以外何も人工物が見えない。
送電線も煙突も。何もない。ただ森あるのみ。
フランス貴族の力、すごいですねえ。

短い時間だったけどシャンボール城を堪能して
観光バスで乗り去る人々を横目に
ぼくは、自転車に跨り帰路についた。

帰りは風景を見る余裕もなく、というのも夕闇が迫って車の勢いが怖く
向かい風の中ひたすら走りつづけて1時間半後、遂に完走した。

その日はへとへとだったけど次の目的地アイルランドめざして電車の中で寝た。

posted susumu
03:30 AM | comment(0)