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23 10 09

『燃えつきた地図』安部公房

燃えつきた地図 (新潮文庫)
新聞か何かに
「最近安部公房の本が全然売れない」
と書かれていて驚いた。
え~、まさかそんな。
日本を代表する作家として世界に知られ
西欧でも東欧でも読まれ
生きていれば、
当時の彼はノーベル文学賞にもっとも近い人だった。

彼の文章は、日本語独特の耽美的な表現を用いない。
他国の言語に変換しやすい単語と論理的な文章構成で不条理の世界を描いてゆく。
実際、彼の本は何十ヶ国語にも翻訳されて読まれている。
日本語表現としてその対極にあるのが恐らくは三島由紀夫であろう。
先日初めて、建築的な興味もあって『金閣寺』を手にしてみたが、
緻密に計算された構成に少なからず驚いた。
しかし、使われる言葉は、美しいが極めて日本的なもので
果たして、これがどの程度正確に外国語に翻訳されているのか疑問に思った。

安部公房の文章のもうひとつの特徴は、その比喩の巧みなことである。
その鋭い表現に接するとき、背景にある観察眼は
文学者というより科学者のそれではないかとさえ思ってしまう。
彼の書斎は日常で切り取った比喩のメモでいっぱいだったようだ。

『砂の女』『他人の顔』『箱男』『第四間氷期』『笑う月』『闖入者』
『棒になった男』『方舟さくら丸』など好きな作品を数え上げたら切りがない。

扨、『燃えつきた地図』は均質な団地のパースペクティブから始まる。
あたかもその人工的風景が失踪の原因であるかのように
埋没し喪われてゆく人間性を描くこの作品は何処か建築的だ。

ふと大友克洋の『童夢』を思い出す。

物語が不条理なのに描かれる世界のディテールが条理なのだ。
それが不条理の存在感を際立たせてリアルに見えてくるから恐い。

主人公は興信所に勤める探偵、
団地の前からぷっつりと姿を消した会社員を探すべくその妻から依頼を受ける。
調査に向かうが手掛りらしい手掛りが見つからず、思うように進まない。
依頼者もまた積極的に捜索を願っているようでもない。
そのうちにヤクザみたいな「弟」なる人物が現われて、
彼から見た義兄の失踪に纏わるきな臭い関係が浮かび上がる。
かに見えたのだが、
その手掛りも流砂のように曖昧で一向に形を成さない。
そうして失踪した男を捜すうちに、自らの所在を急速に喪ってゆく主人公。
自分とは何者で、その存在は何によって固定されるのか。
そして、それはどの程度確かなものなのか。
地図に示す座標も、基点がなければ何の意味もなく、
相対的な関係に過ぎない。不確かさだけが増大してゆく。


遠いマンションの、
均質に穿たれた窓の向こうに、
レモン色のカーテンがみえたらどうしよう。

posted susumu
12:50 PM | comment(3)

20 10 09

夏の使者

秋も晩秋に近づこうかというこの時期に過ぎた夏の話。
玄関先の細い路にあのオニヤンマは来なかった。

今年の夏は晴れの日が少ないことを思いつつ
いつものように庭の草毟りをはじめた。
よく見ると日照不足の所為かいつもより苔の勢いがいい。
西芳寺みたいな訳にはいかないけれどちょっと良い感じなので
今回は苔をテーマにトリミングしてみようと思い立った。
が、いざそのつもりでやってみるとこれが大変。
苔を踏むわけにもいかず窮屈な姿勢で不要な草を取り除いて行く。
これがこたえて夕方には体がバキバキになってしまった。

この日は終日庭にいたがあの「ビュッ」という音は聞こえなかった。
やはり太陽の陽を浴びて大きく翅を伸ばす機会がなかったのか
別の場所で見かけたオニヤンマの姿も何処となく小ぶりだった。

グレート・ギャツビー (新潮文庫)
翌日の昼下がりには、
天気もいいので何もせず
裏庭に椅子を出してビールを飲みながら
終盤にさしかかった
『グレート・ギャッツビー』を読んだ。
確かにチャンドラーは
この小説を強く意識していたように思う。
ガラス細工のように魅力的で脆い
ふたりの主人公が実に印象的だ。


ふと見上げた高い空にはうろこ雲があり、
吹く風もどこか秋の匂いがする。
短い夏も終わりだ。
ちょっと切ない気分で家の蔭に身を置いて
ぼけっとしていたら
突然に大きなオニヤンマの姿が。
裏庭を一直線に通り過ぎて
前の田圃に大きく旋回して消えていった。
戻ってくるのを待ってはみたが
二度と見ることはなかった。
でも、ぼくは夏の使者に会えたことが嬉しかった。

空が紅くなってきた。風も涼しい。
ぼくは椅子を片付けて家の中に入った。

posted susumu
03:30 AM | comment(0)