cafe ICARUS

presented by susumulab

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21 07 09

夜色楼台図

与謝蕪村晩年の傑作『夜色楼台図』

深々と佇む冬の京都
音も色も降り積もる雪の中に吸い込まれてゆく
微かに見える明かりは人間の営みの証

そうか!
この絵を観て三好達治は

「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降りつむ
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降りつむ」

と詠んだのか。

知らなかった。

posted susumu
12:54 AM | comment(1)

16 07 09

デジタル・ヴィーナス

3Dデジタイザという機械を使って精密に計測されたミロのヴィーナスが
コニカ・ミノルタの手によって公開されている。これがとても美しい。
細かい点で再構築されたヴィーナスの姿は様々な角度から観ることができ
初めて見る発見の驚きと感動に満ちている。
流れるような線、ダイナミックな体の動き、絶妙のバランス、すべてが奇跡的。
サイトはこちら

posted susumu
11:42 AM | comment(0)

11 07 09

『面白半分』宮武外骨

面白半分(河出文庫)


あるとき「ミヤタケガイコツ」なる人物の話が話題になった。
「ガイコツ?骸骨?」
何処かで聞いたような気もするがよく分からない。
「誰ですかそれ?」と尋ねてみたら
明治時代の反骨のジャーナリストだとか。
その破天荒な生き方に魅了された。

大体名前からして変わっている。「ガイコツ」ときたもんだ。
「なかなかこの人の本は出てませんよ」ということだったが
たまたま入った本屋に置いてあったのがこの「面白半分」。
面白半分で買ってみたらこれが本当に面白かった。
記事内容は勿論、何より宮武外骨という人がメチャメチャ面白いのだ。
それも単なる奇人変人ではなく、膨大な知識と豊かな言動。
そればかりか権力に対して真っ向反骨する胆力がある。
おまけに旺盛な好奇心とユーモアの精神に多大な色気もある。
そんな眼で社会を見ていたらさぞかし面白かろう。
それをまた絶倫のエネルギーで様々なジャンルに渡る資料を駆使して
これまた数多くの新聞や雑誌にして刊行するからたまらない。
捕まったことも何度もある。猛者である。
潰した新聞雑誌も多数あるが、いちばん笑ったのが創刊即廃刊。
創刊の一冊で終わりなんてこの人いったい何をやってるんだか?
こんなことだから当然お金も続かない訳で、事業に失敗して台湾に逃げたり、
ほとぼりが冷めても東京に戻らず大阪で仕事を始めたり、
かなり場当たり的でいい加減な人物のような感じもするのだが、さにあらず。

宮武外骨の文章には、講談や落語を聞いているような独特の名調子がある。
読んでいてもなんだか露店で寅さんに講釈を聞かされているみたいで
テンポが良くて気持ちがいい。
そして、記事の切り口も多彩だ。
ときの政府を批判するのに一見検閲済みのOOOOOと伏字だらけの文章にしておき
その実、伏字を飛ばして読むとそのまま意味が通じてしまう構成など
赤塚不二夫のギャグ漫画みたいにふざけていて完全に権力をバカにしている。
自分の姓が気に入らんとて廃姓広告を出して、
これからは「宮武さん」と呼ばれても返事しません、と公言してみたり
遊女に挨拶がないのは何故かと薀蓄をたれたり
はたまた、鳩は平和の使者などでは更々なく、軍国主義者の奴隷であると説く。
そんな話が雨霰の如くあって、笑いながら読んでいるとあ~ら不思議、
当時の社会の姿や人々の息吹が手に取るように立体的に見えてくるではないか。
そして、
彼の心底に流れているのは人間への深い愛であることに気付かされるのである。

明治奇聞 (河出文庫)
このあと続いて『明治奇聞』を読んで、その思いを強くした。
この本では、文明開化で明治時代がどのように混乱し変化していったかを膨大な資料情報を収集して、様々な角度から整理して記事にしているのだが
生まれては廃れてゆく流行のなんと多くが
現代にも繰り返されているのかと
奇妙な既視感をもって感じてしまう。
中でも最も驚き感動したのが、
関東大震災後の状況を細かく書いていることだ。
それが阪神淡路大震災の状況にあまりにも酷似していて鳥肌が立つ。
彼のことだ、恐らく「後世のため」に必死に情報を集めて書いたのだろう。
この記事を参考に災害時復興対策マニュアルみたいなものを作成していれば
阪神淡路大震災のときには随分と役に立ったのではないか思うが
果たしてその気持ちは伝わっていたのだろうか。甚だ疑問である。

宮武外骨、その目は常に鋭く優しい。
今、こんなジャーナリストがいるだろうか。
明治の気骨は斯くも遠くなりにけり
ということか。

posted susumu
08:55 AM | comment(0)

06 07 09

寒村一景


山の尾根に連なる集落の屋根が美しい。
ふとトスカナ地方の山岳都市との類似を感じてしまう。

其々の都合であっちに向いたりこっちに向いたり
てんでバラバラに見える屋根が
絶妙のバランスで繋がって集合をなすその景観は
それ自体が一個の有機的な生き物のようだ。
開発団地には見られない風景である。

posted susumu
07:38 AM | comment(7)

04 07 09

LIBERTANGO

この曲を初めて聞いたのはTVで観た映画『フランティック』。
監督も余程気に入っているのか映画の中で度々出てくるのだけど
録画もしてなかったし、その後映画の題名さえ忘れてしまった。
でも、あの独特の旋律だけは耳に残って離れなかった。

フランティック [DVD]
学会の発表のために新婚旅行以来二度目となるパリを
訪れた医者夫婦が、空港で間違われたスーツケースがもとで
事件に巻き込まれてしまう。
主人公(ハリソン・フォード)は、言葉の通じないパリ中を
妻を捜して彷徨う孤独で頼りないアメリカ人として描かれる。
監督はロマン・ポランスキー、音楽エンリオ・モリコーネ。
製作は1988年、ぼくが放浪していた1985年とほぼ同じ頃で
当時のパリの匂いや空気まで想い出して見入ってしまった。


21世紀に入って数年のある日のこと、その旋律がTVCMとして耳に飛び込んできた。
ヨー・ヨー・マのチェロ演奏がうつくしい。
暫くしてCDを手に入れ、漸く曲の題名と作曲者が分かった。
映画の中で使われているのはこの曲のディスコ調のアレンジで
グレイス・ジョーンズが歌う「I’ve seen that face before」だった。

作曲者アストル・ピアソラは50歳を過ぎてタンゴに革命を齎す。
そして今日は彼の命日。

posted susumu
10:50 AM | comment(3)

01 07 09

ルーブルとパリの日々

車内で知り合った彼女と映画の話をしているうちにバスは早朝のパリに着いた。
何となく歩いているうちに目標のユースホステルは見つかったけど満室。
地下鉄を乗り継いでレパブリック広場の近くにあるユースに泊まることにした。
チェックインは午後一時だからまだ時間が結構ある。荷物を預けてぼくは街に出た。

ノートルダム寺院に行ってみた。薔薇窓とフライング・バットレスの
なんだか甲殻類を思わせるその姿に感興を覚え、
その足でポンピドーセンターとフォーラム・デ・アールを見たけど
昨夜寝てなかったこともあってあまり集中できなかった。
ユースに帰ってみると、フロントはバックパッカーでごった返していた。
ドミトリーで一緒になる連中と軽く挨拶を交わしてぼくは寝た。
翌日の朝食は、イギリスでのとは全然違っていた。
バケット三分の一個に紅茶がお椀に一杯、
それにバターとジャムという極シンプルなものだったけど、
さすがはフランス、本場のバケットは外も中も絶妙に美味く、以後クセになった。

扨、この日は一日中ルーブル美術館。
香港のジャンとイギリスのパティと一緒に出かけて中で別れた。
サモトラケのニケの翼に始まり、初めて観る「モナ・リザ」に群がる人の多さに驚き、
「ミロのビーナス」の動的肢体の美しさに感動し、ハムラビ法典をこの目で眺め、
ダヴィッドだ、ドラクロアだ、アングルだ、ラファエロだ、ルーベンスだと
何だかんだで古今東西の絵画彫刻工芸作品の名作のオンパレード。
心も体もクタクタになってユースに帰り、
ジャンやパティと少しお喋りをしてからベッドに入った。

「モナ・リザ」の完成度にはやはり感動したし「アンナと聖母子」も良かった。
パリで本物の美術に触れる喜びは確かにあった。でも何かが足りない気がした。

パリにいる間にいろんな場所に行った。
モンマルトルの丘にカルチェ・ラタン、リュクサンブール公園にデカルトやパスカルの家、
勿論凱旋門もエッフェル塔も見た。
でも、それらは総てが薄い記憶で、ルーブルもそうだったけど、
世界中から集まる観光客に紛れてただ表面だけを眺めているに過ぎないような
なんだか落ち着きのない気分が心の底にあった。
疎外感みたいなものだろうか。何処に行っても人人人、
それも観光客ばかりでフランス語という言葉の問題もあるかもしれない。
ある日、黒澤明の『乱』の看板を見つけて急に観たくなり入ろうとしたら、
映画館の受付の女の子が珍しく英語で
「この映画はフランス語の吹き替えよ。大丈夫?」と言った。
フランスという国は外来語の野放図な侵入を規制していたこともあるけど
当時は、欧米諸国で外国の映画を字幕で観るという習慣は殆どなかったと思う。

場所が変われば言語も文化も変わる。当り前のことだ。
でも、北欧からイギリスまでは逆に当り前のように英語が通じた。
今は、ドーバーを挟んでお隣の国なのに分かっていても英語では答えない。
まだイギリスとフランスがトンネルで繋がっていない時代の話だ。
極大雑把に言えば、イギリス人は社交的だけど心を開くことは少なく、
フランス人は排他的だけど親密になると深い。
ほんとに不思議なくらい正反対だ。その違和感に同調しているのかな。

でも、心許無い気分はそんなことではないだろう。
ナショナル・ギャラリーの第7号室で感じたような
しっかりとものと対峙していない自分自身への苛立ちではないか。
何かを見ているようで、その実何も見ていないのではないか。

ある日、それはとても感動的な形でやって来た。
ノートルダムの近くを歩いていたら突然目に飛び込んできたのだ。
奇妙な風景だった。
ポン・ヌフ橋が白い布で覆われているのだ。すっぽりと。
最初は改修工事が始まったのかとも思ったが、外灯も含めきちんと梱包されているし、
オレンジ色のツナギを着た作業員のような人も規則正しく配置されている。
クリストのインスタレーションだった!
こんなところでやっているとは全く知らなかった。
美術雑誌などで彼の作品の写真やドローイングは見知っていたけど
この目で観るのは初めてだった。
それがこんなに存在感のあるものだとは思わなかった。
景観を一変させている。
あまりにも面白いので、いろんな角度から飽きずに殆ど半日中眺めていた。
それはもうポン・ヌフ橋でも梱包されたポン・ヌフ橋でもなかった。
全く別の存在だった。
そこだけが抜き取られたようにも見えるし、何物かにも見える。
或いはまた、何物でもないかのようにも見える。
その不確かさが実際の風景の中に溶け込んでいるのだ。
それがとても不思議で刺激的だった。

川沿いの屋台で売られていた彼のドローイングの絵葉書を数枚買って帰った。
何故だか心の中の曇りが少し晴れたような気がした。

それから、またルーブルが観たくなって行ったら
あまりの長蛇の列でとても並ぶ気になれずに諦めて
セーヌ川を渡って反対側、アンヴァリッドの横にあるロダン美術館に行った。
元々は個人の邸宅で庭も綺麗に手入れされていて人も少なく静かだった。
有名な彫刻からスケッチまで数多くの作品が展示されていた。
中でもぼくの目をひいたのは、掌に入りそうなくらい小さな、
フィギュアといってもいいような彫刻の為の習作模型だ。
それをいつもポケットに入れて、その感触やバランスを検討していたのだろう。
表面がつるつるになっているものもあってその熱い感覚が伝わってくる。

そうか、
それが観光地であるとか、言葉が通じないとか、人が多いとか
知っているとか知らないとか、そんなことはどうでもよくて
大切なのは、自分の目と心で見て感じるということなんだな。
クリストだからあのインスタレーションが素晴らしかったのではない。
素晴らしいインスタレーションを行なったのがクリストだったのだ。
ロダンのあの激烈な彫刻のためになんと多くの小さな習作があることか。

ユースには今日も世界のあちこちからバックパッカーが訪れ
知友を結んだバックパッカーが何処かへと旅立って行く。

日本ではタイガースの優勝も間近いみたいだ。

まだ背中の荷物が板につかないけれど
ぼくも初めてのパリの日々とお別れするときがきたようだ。

posted susumu
05:15 AM | comment(0)