cafe ICARUS

presented by susumulab

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30 10 05

クレタ島の砂

kureta.jpg

数々の神話と歴史の舞台になった島
クレタ島

ウゾ(ギリシャのお酒で水を混ぜると白濁する)か何か飲んで
酔っ払いながら描いた記憶がある
島の上に湧き上がる雲と
なだらかな稜線
そして断崖に刻まれた影
潮騒の音と
地中海をそよぐ風が
心地よかった

posted susumu
12:08 AM | comment(2)

29 10 05

二月堂

nigatsudo1.jpgnigatsudo2.jpg
nigatsudo3.jpg

知らなかった!
二月堂が国宝じゃなかったなんて。

不見識ついでにいうと
創建当時の姿はどんなだったのだろうか
江戸時代の再建で姿や立地はどう変わったのだろうか
知らないことばかりで興味は尽きない
でも
二月堂はぼくの大好きな建築物のひとつだ
建物の立ち位置、角度、アプローチ
何ひとつ直交しない変化に富んだ関係が
人々を高みに導く
特に、斜面と足元の木組みの繋がりが
うつくしい
まるで音楽だ

posted susumu
04:44 PM | comment(2)

28 10 05

アルハンブラ再び

alhanbura.jpg
写真の関係で、全体が薄緑にシフトしているのが残念だが
これが旅の最初に描いたスケッチで
とても感慨深い。

谷を挟んで反対側の丘から観るアルハンブラは
とくにサン・ニコラス寺院の広場からの眺めは
貴婦人のように気品があって美しかった。
原画は既に手元にはないが
震える手でメモ用紙に描いた
あのときの感触と感動が今も鮮やかに甦る。

posted susumu
12:19 PM | comment(4)

アルハンブラの想い出

アルハンブラ宮殿は美しい建築群だった。
そのことはいずれ「風のファルーカ」でも触れることになるけど、
風景としても見事で、思わずこころを動かされて
安物のメモ帳に安物の十色色鉛筆で描いた一枚がこのスケッチ。
遥か向こう雪で白く輝くシェラ・ネバダに抱かれるかのように
夕暮れ近くピンク色に染まるアルハンブラは宝石のようだった。

posted susumu
10:44 AM | comment(0)

26 10 05

メメント

メメント/スペシャル・エディション


タイムマシンやタイムスリップで
時間を遡ったり飛び越えたりするものや
時間軸を過去・現在・未来とぶつぎりにして描くものなど
「時間」がテーマの映画は沢山ある。
が、中でも出色なのが「メメント」だ。

この映画の監督であるクリストファー・ノーランの作品として
ぼくが最初に観たのは「メメント」ではなく「バットマン・ビギンズ」だった。
これにはものすごいショックを受けた。
これまでの、単なるコミックマガジンのヒーローではない
生身の「バットマン」が圧倒的な存在感を持って描かれていたからだ。
誰もこんな「バットマン」を予想していなかっただろうし、
これまでのシリーズがマンガになってしまった(元々マンガなのだが)。
そして、驚きと感動と共に「メメント」を観ることになる。
この映画は、妻を殺されたことが原因で
10分前のことが記憶できない男の、結果から始まる因果の逆転劇。
逆回しのフィルムでは、勿論ない。
現在に至る過去が徐々に示され
まるで薄皮をめくるように、
不快感と快感がない交ぜになって視覚に迫ってくる。
そうして少しずつ明らかになる原因は
しかし、結果の理解と真実をどんどん不確かなものにして行く。
その不確かさを演じて見事なのはキャリー・アン・モスだ。
構成の異質さや、何もかも説明しないと気が済まない饒舌で緻密な描写も
確かに「バットマン・ビギンズ」に通底するものがある。
それにしても、映画を観終わって思うのは
不可逆な時空のなかで、現在は過去の連続線上にあるのが当然で
原因があって結果がある的な明快なものと思い込んでいるが
案外、現実とは色んな説明ができてしまう不確かなものなのかも知れない
という危うさだ。
体に刻んだ刺青は、記号であって事実の証ではなく
説明する現在においてしか語れない、ということか。

posted susumu
04:31 PM | comment(5)

09 10 05

2001年宇宙の旅

2001年宇宙の旅


衝撃的な映画だった。日本公開は1968年。
ぼくは小さい頃からSFが大好きで、小学生のときは
図書室でジュール・ベルヌをむさぼるように読んだし
中学生になるとSFマガジンも時々町に出ると
ドキドキしながら買っていた。その店では
SFマガジンは何故かSMマガジンの隣に置いてあったのだ。

そんなわけだからこの映画の存在は知っていて
翌年の正月だったか大阪に兄と一緒に出た時に観ようと思ったら
残念なことに不人気で既に公開は終わっていて
寂しく取り残された「オリオン号」の看板だけが今も目に焼き付いている。
それから10年。
スペインで公開されているとか、トロントでは4年連続の超ロングランだとか、
微かな記事やSFマガジンの特集を繰り返し読みながら
ひたすら待った。
そして、1978年漸く再公開されたのだった。
しかも「スター・ウォーズ」の露払いとして。
でも、このときは沢山の人がこの映画を観たのだから凄い。
OS劇場の70mmシネマスコープで観た(この映画はこの画面でなければならない)。
オープニングの何も映像の出ないシーンが始まった途端に
感極まって涙が出てきてしまった。長く待ちすぎたのだ。
何も映ってないスクリーン観て泣いているのだから隣にいた人はびっくりしたことだろう。
映像、音楽、ストーリー、デザイン、どれをとっても
再上映された1978年当時でさえ新しくすばらしいものだった。
2001年を通り過ぎて2005年の今観ると、
流石に類人猿のメイキャップはちょっと古い感があるがその程度だ。
名シーンは数々あるが、やはりこのシーンだろう。
モノリスによって覚醒された類人猿が動物の骨を
「ツァラトウストラかく語りき」をバックに武器(道具)として初めて手にし
そのグループの力を強め、それを鼓舞するかのように骨を空に放り投げる。
それを追いかけ見上げるカメラ。
頂点極まり落ちてくる瞬間、画面は一転相似形をした宇宙船に変わる。
そのとき曲も「美しき青きドナウ」に変わる。
人類400万年の歴史をワンカットで表現しつくす鋭い描写。
絶句に近い感動。誰がこんな表現を思いつくだろうか。
ただただスタンリー・キューブリックの繰り広げる映像美に痺れた。
映画館にはその後6回通い70mmシネマスコープのスケール感を頭に焼き付け
ビデオは何十回となく観DVDも手元にある。
放浪時代にはストックホルムで上映されているのを見つけて入ったら
ミニシアターみたいなところでなんとも情けなかったが
その後もあちこちで見かけた。
世界のどこかで「2001年宇宙の旅」が上映されている
というSFマガジンの記事は本当だったのだと
妙な感動を覚えたものだ。

posted susumu
03:55 AM | comment(0)