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◆二月堂

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知らなかった!
二月堂が国宝じゃなかったなんて。

不見識ついでにいうと
創建当時の姿はどんなだったのだろうか
江戸時代の再建で姿や立地はどう変わったのだろうか
知らないことばかりで興味は尽きない
でも
二月堂はぼくの大好きな建築物のひとつだ
建物の立ち位置、角度、アプローチ
何ひとつ直交しない変化に富んだ関係が
人々を高みに導く
特に、斜面と足元の木組みの繋がりが
うつくしい
まるで音楽だ

posted:susumu291005

コメント

最近長谷寺の本堂も国宝に指定されたが、やはりよく知られて親しみやすいのは、二月堂だろう。
この建物、奈良公園を散策すると、やがて一番奥まったところに現れる。
私はこの建物、寺域でも東の高台に位置し、印象として要塞か砦のような感じを受ける。あるいは聖所という感じもある。
「修二会」という1250年以上も続く「不退の行法」が行われる。東大寺でも最も重要な建物の一つである所以である。
群集が殺到したりできないようにも配慮してあるものと思う。
そしてこの造作が、威力を発揮するのは、「おたいまつ」それも籠松明のときである。
重さ60~70kgもある籠松明を童子が担いで、錬行衆を先導し向かって左にある登廊を上って行く。
その炎は普段より大きく、登廊の天井を焦がしそうなほどの勢いで燃える。回廊に上がると西北角で一度止まり籠松明を欄干から突き出して、ぐるぐると回転させる。そして一気に走って西南角でまた突き出して振り回す。この時点で、次の松明が西北角に、さらに次の松明が登廊の途中にあるという演出。
暗闇に巨大な炎だけが躍動し圧倒的な迫力を見せつける。
それにしてもこの松明、もともと錬行衆の足元を照らす役割だったものが、なぜこれほどに巨大化したのだろう。

ところでこの行事、私はなんとしてもイブ・クライン(YVES KLEIN)に見せたかった。
東京に2年滞在、大変熱心に講道館に通い黒帯4段の資格を得たイブ・クラインも、奈良までは来なかったと思う。
非物質のリアリストと言われ、神秘主義に接近したイブ・クライン。
色々な作品があるが、その中でも火と水に関するもの、61年のクレフェルトでの火の彫刻、59年の「火と水の噴水」のための構想、これらは「おたいまつ」を思わせるし、
火の絵画、火の記録、61年頃の一連の作品、巨大な焔と水を画面に放射し作った絵画、これらは、正に、修二会における「達陀(だったん)」ではないか。
イブ・クラインがなんと言うか、共にその場に居合わせたかった。

二月堂に触れるとき、どうしても言及しておきたかった、今また何故か、興味を呼び起こさせる人物である。

posted: Hiroshi Iwamoto
November 5, 2005 11:05 PM

逹陀の行は、韃靼そばのあの韃靼つまりタタールに通じる多分に異教的な行事らしいですね。
また、二月堂は江戸時代に修二会の松明が原因で焼けたらしく、これ自体も火を使った非常に特異な行事です。
清水寺や長谷寺は勿論好きですが、その建築的性格は多分に地勢によるところが大きいのに対し、
二月堂は行事の舞台として完璧なまでに構成されているように思えるのです。足元のコンクリートがちょっと気になるのですが。
では、ブルーのカクテルで彼に乾杯しましょう。

posted: ssm
November 6, 2005 10:07 PM




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