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22 06 09

『記憶』-「創造」と「想起」の力-港 千尋

記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)




入試や資格試験、やたらと記憶力が要求される現代社会。
一見「記憶力=頭脳優秀」みたいな構図があるが果たしてそうだろうか?
記憶とは、案外動物的な機能ではないか。

著者の記憶に対するイメージはユニークだ。
人間の記憶とコンピュータの記憶は根本的に違う、とまず言う。
一瞬「えっ?」と思うがよく考えてみると、
確かにぼくたちの記憶は、理路整然と並ぶメモリーチップのようには
なっていないような気がする。
寧ろ、ことの強弱大小はあるにせよ
殆どの人は全体をぼんやりと覚えていたり芋蔓式に思い出したりするような
感じで記憶しているのではないか。
実際、その方が細かい情報を沢山覚えなくてもよい分脳にとっても楽なはずだ。

とここまで考えて、待てよ。
抑もメモリーチップのイメージは記録に対してであって
記憶に対してではない、ということに気付く。

つまり、人間の記憶という行為は
雑然と記録された情報の断片が神経細胞のネットワークを通じて
連続するイメージの映画や物語のような立体的なものに
再構築されることではないかと思う。

そしてその雑然とした情報を繋ぐネットワークの広がりの密度が
柔軟な発想や論理の飛躍を生み出す源泉となる。

そのような記憶力の発達は、同時に想像力を肥大化させ
それが危険回避や予防など未来の予測や先回りなどの行動を生み出し
ある人は形や物に執着したり、ある人は音や触覚に敏感であったり、
またある人は怯えや自信となって、人類の多様な行動を保証することになる。
これが結果的に、人類が様々な危機に見舞われながらも
こうしてしぶとく生き残ってきた大きな要因ではないだろうか。

コンピュータのように理路整然とした記憶回路でないからこそ
ユニークな発想が生まれるというのは逆説的で面白いが
しかし、これは他方である種の精神的な病理を内包することにもなる。

先日も、脳動脈瘤の手術がきっかけでそれまでなかった絵画の才能が
突然開花したイギリス人男性の話がニュースになっていたが
本の中では、事故で脳に障害を負った人の記憶や表現の劇的な変化や
サバーンと呼ばれる異常な記憶力を発揮する人々について詳しく取り上げて
精神と記憶の関係を探っている。

状況や印象によって大きく変化する記憶の度合いをみても分かるように
感情や感覚と記憶の間には密接な関係がある。
記憶が極めて動物的な行為ではないかという所以である。
交通事故で記憶野に深刻なダメージを受けた人が
家具職人として新しい道を歩こうと努力する話をTVで観たが
正に文字通り脳の代わりに「手で覚え」ようとしていたのが印象的だった。
単純に脳と身体を主従の関係では語れない、
それ程に身体は脳にとって重要な存在なのだ。

こうして身体と記憶のあり方を考えていると映画『メメント』を思い出す。
記憶は過去にあるのではなく過去の記録を繋ぎ合わせる現在的行為なのだ
というあの皮膚感覚である。

最近、映画などの人物の名前がさっぱり出てこないことがあるが
ニューロンがスカスカになっているのではないかとつい不安になることがある。
いっそ、天才バカボンのパパのように
『忘れようと思っても、思い出せないのだ!』
と言ってお茶を濁すか。

posted susumu
09:27 PM | comment(1)

07 06 09

堺やん夏まつり

sakaiyan.jpg爽やかな初夏の風に誘われて
仁徳天皇陵の南にある大仙公園で
開かれた「堺やん夏まつり」に行った
堺をこよなく愛する人たちによる
ハワイアンで温かいおまつりだった
その心地よいゆるさが、放浪時代に
アメリカで見たジャズフェスや
映画『真夏の夜のジャズ』みたいで
懐かしくも嬉しくてたまらなかった

皆さん、楽しい時間をありがとうね

posted susumu
10:05 AM | comment(3)

04 06 09

マスク

ジョーク好きのホセは
ちょっとエロくてファニーなCMや画像を見つけると
全世界にいる友人に洒落た文章を付けて送ってくる。
今回の新型インフルエンザは彼の国メキシコで起こったことなので
心配していたら、暫くして彼からメールが届いた。

曰く、
「新型インフルエンザの発生によって深刻な経済的打撃を受けたメキシコ政府は
新しい紙幣を発行することにした!」
「へえ~」
と思ってスクロールするとその紙幣の画像が。
よく見ると
紙幣の中の肖像がマスクをしているではないか。

やられた!

数日経って、再びホセからメールが来た。
今度は、最初にマスクをして歩くメキシコシティーの人々の風景が出てきて
その下に、
「この新型のインフルエンザに対抗すべく新しく強力なマスクが開発された!」
と書かれてあるではないか。
「またまたぁ」と思ってさらに下を見ると
パンツを被っている人物のポスターが写っていた。

爆笑してしまった。
心配のメールを書く気もなくなってしまった。

勿論、今回のインフルエンザが弱毒性であることを踏まえてのことなのだが
異常とも言える日本の反応と比べてこの差は何だろう。
国内には絶対に入れない「水際作戦」も、その意識意気込みや善しとしても
冷静にみてそんなことは不可能だからウィルスの侵入は時間の問題として
そのことを視野に入れた段階的対応策と適切な情報共有をすべきところなのに
「神戸で見つかった」と聞いて軽いパニック状態に陥ってしまうのは問題だ。

何も神戸の高校生が悪いのではなく(そんなニュアンスの報道があった)
また、関西の衛生状態が悪いわけでもない(「やっぱり」みたいな空気もあった)。
このインフルエンザの季節型と変わらない弱毒性故に
メキシコでの発見が遅れて世界に広がり
「水際作戦」の遥か以前に日本に入っていた可能性が極めて高い。
アメリカで開催された模擬国連に出席した高校生が感染して帰国したことを
泣きながら報告するその高校の校長先生の姿をテレビで見て
生徒を心配する以上の何かをその背後に感じ、ぼくは別の不安を感じた。

この騒ぎが沈静化する前に
奈良―三宮間を走る電車に乗って奈良に向かうことが何度かあった。
早朝で、車両に乗り合わせた人は20人程、
マスクをしていない人はぼくを含め数人だった。
たまたま、のどがいがらっぽくなって二三度軽く咳いたら
斜め向かいの人が厳しい目つきでぼくを睨みつけ離れた場所に移っていった。

「参ったなあ」と思っていたら
今度はマスクをした人が乗ってきて体ひとつ分空けてぼくの隣に座った。
暫くするとその人がマスクの下でグズグズゴホゴホし始めた。
チラッと横をみると赤い顔をしている。如何にも熱っぽそうだ。
「成る程、移さないためのマスクなんだなあ」と感心していると
生駒を過ぎたあたりでもう完全に我慢できなくなったみたいで
何とその人、急にマスクを外して激しく咳きを繰り返し
直ぐまたマスクをしたのだ。
「えっ?」
ぼくの頭の中は?マークだらけになってしまった。

後日、マスクの効果や着用を問うアンケート調査の結果を報道していたが
殆どの人が「マスクの効果より着用しないといけない空気があったから」
と答えていたようだ。

鳥インフルエンザはインドネシアで既に豚に感染していることが確認されていて
人―人感染は最早時間の問題ということだから
慎重であることに越したことはないが、
変な「空気」で世の中が過剰に反応してしまうのも気持ち悪い。
ホセのように笑い飛ばす元気も欲しいと思う。

posted susumu
02:42 AM | comment(0)

01 06 09

未来世紀ブラジル

未来世紀ブラジル [DVD]


カフカの『城』に迷い込んだかのように
不条理な情報局の風景。
どう見ても機能的とは言えないメカと配線。
そんな未来都市ブラジルで、
人々は厳しく管理され情報と書類の山に埋没してゆく。

初めてこの映画を観たのは昔懐かしい大毎地下劇場で
『ブレード・ランナー』との二本立てだった。
今想うと何ともマニアックな組み合せにびっくりしてしまう。
監督はテリー・ギリアム。
『モンティパイソン・フライングサーカス』のアニメを担当していた頃からの大ファンだ。
随所に見られるグロテスクでブラックなユーモアはその頃培ったものか、
ちょっと前にみた『ブラザーズ・グリム』でも全然変わらない。

彼の描く映画の世界を一言でいうと、イメージの洪水と過剰だろう。
表現したい物語や世界のイメージが、
恐らくは強力に膨らみ過ぎて暴走してしまうのだろう、
映画の製作はいつも遅れがち、
俳優とはトラブルし映画そのものが中止になることも少なくない。
全くプロデューサー泣かせの、しかし正真正銘の名監督なのだ。

この映画でも、繰り広げられる未来の世界は暴走気味。
時代も文化もインテリアもイメージもデザインも
縦横に走り回る設備の配管のようにこんがらがって饒舌にして過剰に、
過剰にして饒舌に表現され、
かろうじて脈絡を保ちながらスクリーンに押し迫ってくる。
それは、過剰に情報と規則に縛られた――まさに箍(たが)を嵌められたような――
未来の管理社会ブラジルを象徴してあまりある。
それにしても、イメージの箍がよくはずれなかったものだ。

その現実と非現実が綯い交ぜになったイメージの連鎖と飛躍は
彼が実写ではなくアニメーションから出発していることに関係するのかもしれない。
彼に落語の『頭山』を撮らせたら絶対に面白いだろうな。

物語は一見ユーモラスに見えながら、
その実背後には恐ろしく残酷な雰囲気を匂わせながら展開して行く。
スモッグに覆われた環境の下、空のない極度に密集した都市ブラジルで
繰り広げられる情報ファシズムとそれに対抗するレジスタンス。
レジスタンスといってもその活動がこれまたユニーク。
法律と書類で雁字搦めになった面倒な修理作業の依頼を盗聴して
勝手に出向いて行っては無許可で苦もなく見事に修理してしまうのだ。
速いし手際が良いしおまけに余計な書類はいらないから言うことない。
それはレジスタンスというより単に修理好きの忍者みたいなオッサンの行動なのだが、
ところがこれが当局にとっては許せない。管理されていないからだ。

裕福で人脈もある家庭に生まれながら潜在的に「自由の翼」を夢想する主人公は
その象徴ともいえる夢の中の女神を現実世界で発見するのだが
反社会的存在と誤解したことから更なる偶然と誤解を産んでレジスタンスと絡まりつつ
彼女を追いかけ自由への迷走が始まるのだが、、、、、

可笑しくも恐い映像もすばらしいが音楽もすばらしい。
特に、最後のシーンで流れる名曲「ブラジル」は美しく哀しい。

posted susumu
12:45 AM | comment(0)