cafe ICARUS

presented by susumulab

« 攻殻機動隊(GHOST IN THE SHELL) < mainpage > アンカラのミナレット »


◆イギリスの侍

ロンドン
この街は、ぼくにとって忘れがたいものになった
ナショナルギャラリーと大英博物館に入り浸った日々
雨の日に、何処へも行く気になれなくて
日長一日ユースのベッドの中で読んだ司馬遼太郎の『世に棲む日々』
行き着けのパブ、ブラック・フライヤーで飲んだラガービール

多くの人に助けられ
多くの人と友達になった
サンドラさん、AAの神尾さん、そしてパティスンさん
みんな、本当にありがとう

荷物を纏める動作が鈍い。体が重い。
この街に長く居過ぎたのかもしれない。

でも、ぼくの気持ちはもう変わらない。

この頃、ぼくは英語で夢を見るようになっていた。
「日本語の本を捨てろ」
というベルゲンで知り合ったロスのアドバイスに従い
日本語の本は旅行案内の切れ端以外は総てユースに寄付した。
代わりに、”CHANDLER COLLECTION Vol.1”を買った。
女性デザイナーによる切り紙貼の表紙が洒落ている。
少々分厚いが、これがぼくの旅の仲間だ。

用意ができた。体も軽くなった。
いよいよ放浪の旅の始まりだ。

イギリスを離れる前に是非会いたい人がいた。
ぼくはロンドンの南にある町ブライトンを目指すことにした。
其処から東に少し行ったところにLewes(ルイス)という小さな町がある。
「困ったときに頼れ」と紹介してもらっていた人物が其処にいた。
イギリスに入国するときも「後見人」として挙げた人だ。

話は少し戻る。

この旅に出る前、ぼくは中津の設計事務所で働いていた。
その頃、中学・高校とやっていた剣道を再びやりたくなって、
道場やスポーツクラブを探したが何処もかしこも遠くて通うのは無理だった。

そんなある日、仕事で新大阪に向かう地下鉄に乗って
地上に出るところからぼんやり外の陽を見ていたら
阪急電車の高架の下で、
剣道をしている連中が目の中に飛びこんできたのだ。

ぼくはびっくりした。あり得ない光景だ。
帰りの一瞬にもう一度注意深く見てみたが、
もう剣道をしている人はいなかった。
道場らしき場所は全くの吹きさらし、
端に小さなバラックの小屋がポツンとあるだけだった。
剣道をしていなかったら其処が道場だとは誰も気付かないだろう。
でも、事務所からは近い。
ぼくは少々怯えながらも訪ねてみることにした。
それが講武館であった。

館長である太田さんのご家族は、ご本人は勿論、
奥さんも息子さんも剣道の師範という絵に描いたような剣道一家で
その温厚なお人柄と心から剣道を敬愛する姿勢は
それ自体が剣の道そのもので頭が下がった。

暫く通ったある日、ぼくがヨーロッパに行くという話をしたときに
若先生がイギリスで剣道を教えていたことがあり
日本にも来たことのあるお弟子さんがいる、
ということで紹介してくれた。
その人がこれから会う、クヌッセンさんだった。

ルイスは、小さな、しかし、丘に古城を構える美しい街だった。
駅も小さかった。
プラットホームに降りたら、クヌッセンさんは既にぼくを待っていて
人懐っこい笑顔で迎えてくれた。

その風貌は、バイキングか熊襲というのがピッタリな
古武士の感じだった。
でも、その直感は間違っていなかった。
クヌッセンという苗字は、アングロ・サクソンのそれではなく
ノルウェーの出自らしいのだ。

いくつかの名所を案内してもらいながら彼の家に向かった。
綺麗なバラ園やら歴史のあるパブやら。

中でも出色なのは、創業1300年代という
信じられないような古い本屋があったことだ。
それが真実か否かはともかく
書棚は黒光りして本の重さにすっかり撓み床まで歪んでいる。
梁と天井の間にも本が並んでいる。
おまけに斜面地に建っているので、
中に進むと本の深みにずっぽり嵌りそうでたまらない。
指輪物語はこんな場所で生まれたのではないかとつい空想してしまう。
そういえば、小学時代の図書室がこんな感じだったっけ。

空間は与えられるものではない。
自ら創り出すものだなんだなあ。
こんな書斎、欲しい。

家では、奥さんが待っていてくれた。
ロフトの美しい部屋を用意してもらい泊めてもらった。

太田館長と同じく、クヌッセンさん夫婦も揃って剣道の達人で
というか、奥さんの方が高段位者で頭が上がらないとのことだった。
お二人からは、日本に来たときのこと、太田館長のこと、剣道のことなど
どっちが日本人か分からないような話を聞かされた。

立居振舞がキリッとしていて、もうとってもサムライなお二人だ。
サッカー好きの息子さんとも会ったが
こちらは普通のイギリス人で妙に安心したものだ。

クヌッセンさんご夫婦はブライトンの町に道場(倉庫を改造したもの)
を借りて週に二三回剣道を教えていた。

そんな話になって、奥さんが急に
「そうだ、ススムは暫く剣道やってなくて体鈍っているでしょ。
これからブライトンに行くから一丁やって行きなさい。
ねェあなた、たしか倉庫に防具あったわよね。」

エーッ、ぼく、イギリスで剣道やるんですか?
(つづく)

posted:susumu010708

コメント

エーッ! こんないい所で(つづく)なんですかー?

段々、連載小説みたいになって来ましたね。
泣かせたり、笑わせたり、うまいな~。
剣道されていたとは知りませんでした。
今でも続けておられるのですか?
うーん、続きが気なる・・・。
気長に待つといたします。

posted: pukupuku
July 2, 2008 03:28 PM




保存しますか?



copyright(c) 2005-2011 susumulab all right reserved.