cafe ICARUS

presented by susumulab

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28 12 07

ロッキー・マウンテン

都会を離れて全き自然の一枚
標高3,000mあたり、遭難を気にしながら一気に描いた

「デンバーに来たらロッキーを見ないとナ」と言われて
軽い気持ちでOKしたが、本格的な登山になってしまった
ボブとグレッグの三人で入山許可証を取り
途中から地図に載っていないtrail(小道)を辿って大自然の中に入っていった

その風景は荒々しくも凛然としていた

岩だけでできた山の姿は岩石の条理が螺旋に捩れて
まるでバベルの塔みたいだった
陽が落ちるとキャンプに帰れない僅かな時間
それは山と向き合う濃密な瞬間だった

この絵の右側に馬の鞍のように撓んだ背があって
岩だらけの稜線を酸欠気味に攀じ登ると
全く違う風景が遥かな下方にそれこそ一気に広がっている
ぼくは大陸分水嶺(continental devide)の上に立っていたのだ!

posted susumu
03:15 AM | comment(0)

27 12 07

ブレードランナー・ファイナルカット

ブレードランナー 最終版
←こちらは「ディレクターズカット 最終版」のジャケット


ぼくはネットをチェックするまで知らなかった
この映画がカルトムービーと呼ばれていて
こんなにも沢山のフリークがいることを

1975年の日本初公開を観、リバイバルを観、完全版を観て
VHSを買い、DVDも持っていてそれらを何度も観返し
それでも「ファイナルカット」と言われたら迷わず観に行く
そんなアホな奴はぼくぐらいのものだろう、と思っていたらとんでもない
ぼく以上のフリークがワンサカいるではないか

彼女が久しぶりに大阪に来たので
「映画でも観に行こうか」ということになって
飛行船が好きなぼくは「スターダスト」を勧めてブルグで待っていたら

ズンチャカ、ズンチャカ、ズンチャカ、ズンチャカ、パーーパーーパーー♪

あれ?何でヴァンゲリスが?えっファイナルカット?しかも二週間だけって!
何も知らなかったぼくはすっかり驚いてしまった
翌日の夕方、
ぼくは再びブルグに来ていた

入りはそれ程でもなかったけれど、
この画面をひとりで観ているのかと思うほど雑音が一切なく
客席全体がこの映画をリスペクトしているのがジンジンと伝わってきた
エンドクレジットが終わるまで席を立つ人はいなかった
いや、一人いたけど戻ってきた
終わってからの反応がこれまた凄かった
「観た?観た?観た?あそこのシーンよかったねえ」
「あの場面はあんなにクリアーやってんなあ」
などと結構年配のグループが興奮冷め遣らぬ感じで話し合っているではないか

嬉しかった
帰って、他の人はどうだったんだろう、と思ってネットを覗いてみると、、、、
もう、フリーク、フリーク、フリーク
涙しながら4時間ぐらいあちこち訪問した
今更ながらこの映画の持つポテンシャルの高さに感動した次第

映画の中に出てくる三次元解像スキャナーみたいなものでチェックすれば
殆どの映画は直ぐに画像が荒くなって底が見えてしまうけど
この映画は何処までも解像できる
途中で寄り道したってどんどん行けてしまう
こんなに被写界深度の深い映画は他には
スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』くらいだろうか

最近ではクリストファー・ノーランにその雰囲気を感じるが
これはつまりその映画の中に世界がきちっと描かれているということだ
何処までも解像できるということはリアリティーの証だから
名作と呼ばれる映画にはこの「世界(観)」がある
それが映画に生命を吹き込み時代を超えて生き続けてゆく

これはデザインにも言えることだ
「世界(観)」のないデザインは結局時代に迎合せざるを得ず
時代と共に終わるしかない

放浪時代、中近東のバザールやスークに行く度に
デジャヴュのようにブレード・ランナーの世界を思い出していた
いや寧ろあの映画でクレオール化した猥雑な都市の魅力に
目覚めたと言ってもいい
ダチョウこそ登場しなかったけど
何でも有りな雰囲気は映画に負けていなかった

映画について今更言うべきことはない
「ディレクターズカット」で編集したものが映画としての最終形であり
今回の「ファイナルカット」は画像の精度を上げることと
細部の描き込み修正を加えたというところか
それも所謂デジタル加工したというより
元々の深み(70mm)を正しく表面化させたといったほうがいいみたい
霧が晴れたような感じだが、それ自体が感動ものだ

後年、リドリー・スコット監督が『ブラック・レイン』を大阪で撮るときに
エキストラで参加する機会を得て
初めてメガホンを持つ監督の姿を目の当たりにしたとき
妥協のないその撮影態度に本当に感激した
自分もかくありたいと思った

これ以上のヴァージョンはもうない、
と気を許しているけど
ひょっとして
『ブレードランナー・ファイナルカット3Dヴァージョン』
なんて出たらどうしよう
たまらんやろなあ
いやあ、こりゃあるぞ

あちこちネットを覗いていて
デッカード・ブラスターを克明に復元して行くブログを発見したときは
鳥肌立ちました
凄い情熱 高い美意識 素晴らしいの一語 欲しい

posted susumu
12:29 AM | comment(11)

26 12 07

『ロング・グッドバイ』  R・チャンドラー

ロング・グッドバイ




新大阪駅の構内の書店でこの本を発見したときは驚いた
訳者が村上春樹だったからだ



長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))『The Long Good-bye』は、
先に清水俊二訳の『長いお別れ』があり
ハードボイルド小説の傑作として名高い
いや、推理小説とか探偵小説とか
そんなちっぽけな枠に入りきらない名作だ
清水氏の訳は、
映画の台詞の翻訳などを手がけていたことも
多分に影響しているのだろう、
口語的なリズムを大切にしてチャンドラーの描く
フィリップ・マーローを実に生き生きと日本語化している
ぼくは一読してその文章のタッチの創り出す雰囲気に魅せられてしまった
『長いお別れ』を読んだときなどは友達を誘いカクテルバーに行っては
ギムレットを飲み歩いたものだ

放浪時代、サンフランシスコで「マーロー・マップ」なるものを
手に入れて小説の舞台になった場所を訪ねてまわった
ビクターのモデルになった店を訪ねてそこでギムレットを飲み
テリー・レノックスを偲んだ
ぼくはそれほどにフィリップ・マーローの生き方に影響された気がする
建築家の道を選んだのも或いはそんなことかもしれない

オフィスに座って来ない依頼者を待っている
一匹狼だ
飛び切り美人の秘書はいないがバーボンならいつもある
損をしても筋は曲げない(つもり)
探偵と建築家、どこか似ていないか

それはともかく、フィリップ・マーローを主人公とする長編は7編ある
いずれも日本語に翻訳されていて貪るように読んだけど
そのうち『高い窓』が田中小実昌訳、『大いなる眠り』が双葉十三郎訳で
清水訳とのタッチの違いに随分と困った記憶がある
日本語のフィリップ・マーローは清水訳に尽きるとさえ思った
あのタッチと雰囲気は清水訳の5編でしか味わえないから何度も読み返した
それほどの名訳だけど、そこまで日本語としてこなれているということは、
おそらく映画的な感覚でかなりの意訳や省略などをしているのではないか、
とも思った

それで、一度原文を読んでみよう思い立ち
“Farewell My Lovely”(『さらば愛しき人よ』)を買ったのだけどこれが驚いた
ぼくがハマったのはチャンドラーではなく清水マーローではないか
という危惧は全くなく
英語と日本語の差を感じさせない見事なフィット感があったのだ
対訳的に読んだわけではないので訳の正確度とか省略については
意識しなかったが、実際そのようなことは結構あったみたいで、
それが今日村上春樹氏によって新たに翻訳される理由にもなっている

だから、新大阪の書店でこの本を手にしたときは
「やはり高く評価されている」という喜びと、
「それにしても何故あのベストセラー作家が」という疑問と、彼によって
「フィリップ・マーローが別人にされているのではないか」という不安が
入り混じった驚きだったのだ

暫くは積読状態だった
ある日、以前リフォームをした京都の施主から連絡があった
一杯やりませんか、という誘いとギムレットに関する新聞記事についてだった
実はこの施主、年若いのにぼくに本当のギムレットを教えてくれた
というか、本当のギムレットを呑ませる店を紹介してくれた“恩人”であった
本当のギムレットとは、ローズ社のライム・ジュース・コーディアルを使った
カクテルをいう(かの伊丹十三も『ヨーロッパ退屈日記』の中で書いている)

それでまたスイッチが入り、ぼくはこの本を一気に読んだ

内容についてあれこれいうつもりはない
不安に思った違和感は意外な程になく
自然にぼくの知っているフィリップ・マーローが活字の上を歩き始めた
また、村上氏は巻末の訳者あとがきとして
「準古典小説としての『ロング・グッドバイ』」を書かれているが
この内容がまたすばらしい
ぼくは、短い文章とその積み重ねで事物を的確に表現し
詩情のある世界を構築するチャンドラーの上手さに感服していたけど、
その深みが同様の手法を使う他者と何故これほどまでに違うのかについては
思い至らなかった
それを氏によって教えられた


同じく放浪時代ロンドンにいたとき、
それまで持ち歩いていた日本語の本を捨てて
PICADOL社刊の“THE CHANDLER COLLECTION Volume1”を買って
バックパックに詰め込んだ
その後アメリカで“Volume 2”を買って持ち歩いた
水に濡れたり擦り切れたりぼろぼろになりながら
最後までぼくの旅に付き合ってくれたそれらの本は
今も手元にあるがその表紙のデザインがいい

探偵小説は言わば読み捨てみたいなところがあって、
ペーパーバックの表紙も何処かあざとく雑駁なデザインが多いものだが、
それがチャンドラーの描く世界とはかけ離れていてぼくは嫌だった
でも、この本はそのギャップを感じさせないデザインになっていると思う
村上氏も訳者あとがきで触れているが、
チャンドラーはアメリカでは文学者としての評価は高くなく
寧ろイギリスでの評価が高かったらしいが、
表紙のデザインにもそれが現れているような気がする

同じ文章の中で村上氏は、KNOPF社版を使っての今回の翻訳において
問題になった箇所(誤植や校正ミス)のひとつとして第36章の
They have hanged themselves in bars and gassed themselves in garages.
を掲げ、文章の流れから考えて
「“bars”(バー)ではなく”barn”(納屋)の誤植ではないかと思い
熟考の末「納屋」と訳した(清水氏も同様の訳を選択した)」
と書かれているが、
このPICADOL社版(1983年)で件の文章をチェックしてみると
ちゃんと”barn”(納屋)になっているではないか
アメリカとイギリスの差かなあ
ちょっと考えさせられてしまった

また、ギムレットが飲みたくなった
いや、ギムレットにはまだ早いかな

posted susumu
12:23 AM | comment(10)

22 12 07

北極圏、そして南へ

ここまで来たんだ
どうせならスカンジナビア半島の北端まで行ってみよう
それからイギリスに渡ろう
ぼくはヘルシンキ駅から北に向かう列車に乗った

「この国で仕事したかったらこの国の女性と結婚するか
この国の大学に入ることだね」
今直ぐにはどうにもならないようなことを言われて
なんとも悔しい思いをしたけど、ぼくの行動は
それほどにお馬鹿な軽挙盲動にしか映らなかったのだろう
事実そうだったのかも知れない

列車はフィンランド内陸部を北上して
やがてバルト海を南に見る国境の町TORNIOに着いた
チケットはここまで、ここからスウェーデンの町HAPARANDAに渡り
100kmほど西のBODENまで移動し再び北上する
目差すはノルウェーの港町NARVIC(ナルビク)だった

列車ははじめ平坦な大草原を延々走るだけの退屈なものだったけど
KIRUNAを過ぎたあたりから上り坂になり
いよいよ半島の南北に走る山脈を越えるべく
氷河で抉られた大きな湖を右手に
急峻な山や谷にへばり付くように進んでゆく

湖とも分かれて山中を抜けてノルウェーに入り
漸く北海への出入口となる港町NARVICに着いた
ヘルシンキを出て24時間20分
疲れた

翌朝目にする街の風景は雄大で空気も澄んで清清しい
フィヨルドの町 白夜の町 ラップランド
ここは北緯66度
既に北極圏だった

ぼくはNARVICから船に乗って
北海に長く突き出たローフォーテン諸島の真中あたりの港町
SVOLVAERに向かった
この町は北に峻険な岩肌の山をいただいて美しく
今なら「LORD OF THE RINGS」に出てくる風景みたい
と形容したいところだがそれもそのはず
映画はニュージーランドで撮影されたものだけど
この風景も共に氷河による造形なのだから似ていて当然だ

ここから細長いノルウェーの中程にあるトロンハイムまで
フェリーが出ているので
それに乗ってフィヨルドを見ながら南下するつもりだったけど
このチケットが高かった
乗ってから分かったけど、結構年配の夫婦が多く
人気の高い観光ルートであったようだ

確かに値段は高かったけれどフィヨルドの景観は目を見張るものだった
中でも圧巻だったのが
どのような浸食の所為でそうなったのかは分からないけど
中腹にポッカリと大きくて真ん丸い穴が開いている山を見たときだ
それもしっかりと向こうが見える程の大きな穴だ
びっくりした
全員が左舷に集まるものだからフェリーが傾いたくらいだ

二泊三日ののんびりとした船旅を終えて
フェリーは北海から再び入り江に入り朝方トロンハイムの港に着いた
それから駅に向かい真っ直ぐにオスロを目差す
再び山並みを越えるのだけど風光明媚なこのルートには
360度視界が広がるパノラマ電車が走っていて
フェリーもそうだったけど電車もえらい人だった
それもそのはず、このときは夏のバカンス真っ只中
北欧のひとにとって夏という季節は貴重だ
むさぼるように陽光を浴びる
だから、何処に行っても人人人

オスロに着いてホテルを探したが
案の定どのホテルも満杯
仕方ないユースにするか、と思い向かったけどこれもフル
参ったなあ、今日は野宿か、と思っていたら
子供連れのドイツ人夫婦が話かけてきて
テントの予備があるから使いなさい、ということで彼らのお世話になった

翌朝、彼らと一緒に博物館を見て回った
まだ旅慣れていなかったからか
「こうして個人の車での移動は体が休まっていい」
とぼくは当時の日記に書いている

午後は彼らと別れてお目当てのムンク美術館を訪れた
「叫び」の原画を初めて目にすることができた
また、習作や初期の作品など沢山あって面白かったし
美術館自体も斜面に建つ感じで真中に段上の庭があって綺麗だった

夜、北欧最後の町BERGEN(ベルゲン)行きの電車に乗った
雨だ

翌朝も雨だった
疲れていた
瞬く間にお金がなくなってゆく心細さと
落ち着くところのない所在のなさの所為で
とにかく疲れていた

それでもベルゲンの街は綺麗だった
特にウォーターフロントは
木造の船小屋や倉庫がリフォームされ
深い濃い色合いで港の倉庫街の雰囲気を保ちつつ
中にはデザイン事務所や店舗・レストランなどが入っていて
とてもお洒落だった
後年知ったのだけどこのエリアは世界遺産になっている

いよいよベルゲンを離れてイギリスに向かう時間がきた
このとき
ぼくはとても印象深いオーストラリアの青年と知り合い
この旅の意味を見直すことになる

posted susumu
01:36 AM | comment(0)

18 12 07

ハンガリー絵本原画展-レイク・カーロイを訪ねて-




で開催~2007.12.23(日)迄
■恵文社で2008.1.15~1.28(月)
何とも言えないこの表情がいい
それにしても、
東欧にはアニメや絵本に優れたものが多いが何故か

向き合う時間の質と量が大きいからではないだろうか
例えば、日本のアニメは今世界を席捲してるけど
作品の多くがパターン化され、時間に追われているのか雑に見えるときがある
時間は、単に作業工程だけではなく
キャラクターを育てたり、物語を練ったりするときも大切だ
そういえば、この展覧会主催のパビリオンブックスの大西さん夫妻は
まさに、そんな時間を生きているような人達でカーロイ以上に興味深い
ご主人の解体・設計・施工による完全DIYの実店舗は現在工事中で
納得するまで完成しない
奥さんは彼女自体が童話のキャラになりそうな輪郭の人だ
展覧会に行ったら是非彼らとお話をすることをお勧めする。

posted susumu
02:04 PM | comment(0)

17 12 07

マンハッタン




今度は一転、ニューヨークの摩天楼
それは、鉄とガラスとコンクリートでできた心揺さぶる巨大な森だった

初めてその姿を目にしたのはニュージャージー側
グレイハウンドバスの車窓からだったかなあ
朝6時ぐらいで
マンハッタンは金色に輝いていた
人間が造ったものにしてはあまりにも巨大で
欲望と希望が極限まで満ち溢れハドソン川に零れ落ちそうなくらいだった
そして、意外にもそれは美しかった

パリで知り合ったユダヤ系アメリカ人の漫画家夫婦の住む
アッパーノースのアパートに泊めてもらい
毎日のように大好きだったジャズを聞きに行っては
午前1時2時の深夜まで飲み歩き
当時はまだ治安の悪かった地下鉄にびびりながら乗って帰ったものだ
ジャズのステージは始まりが遅く、乗りのいい演奏が聞けるのは
どうしても深夜になってしまうのだ

ブルックリン橋を歩いて渡たり
対岸のクイーンズ地区から眺めるマンハッタンはまた格別だった

posted susumu
06:13 PM | comment(0)

15 12 07

偶然と必然(邦題=しあわせ)

しあわせ


いやあ、参った、感動しました
何の気なしにTVをつけたらその画面が突然目に飛び込んできた
このタイミング、偶然か?必然か?
白熊が人家の扉を破り中を荒らすドキュメンタリーみたいなものがフランス語でやってて、、、、

どうなるのかな、と思っていたら
突然場面が変わって
クロード・ルルーシュの名前が出てきて映画が始まりだした
ステージで、舞台上にスクリーンがあって俳優が横にいる
スクリーンの虚像と実像の俳優が奇妙に入り乱れて展開する内容のあと
白熊の映像は何っだたのかと思いながら見ていると
物語は時間も場所もバラバラにビデオカメラがひとつの鍵になって
風景もインテリアも会話も美しく世界中に拡がり
あたかも前の舞台の演劇とシンクロするかのように虚実織り交ぜて進んでゆく
切れ切れだった話が見事に繋がってゆく偶然と必然
物語の構成が幾重にも重なって
まるでティラミスみたいになっている
主人公がダンサーということでダンスシーンも多いけど
中でも目を引くのが踊る宗教「メブラーナ教」のダンス
放浪時代に観に行ったのを思い出す
シンプルに回転することである種のトランス状態になってゆくのだろう
人々が緩やかに回転するあの様は本当に美しい

それにしてもこの邦題タイトルを「しあわせ」にしたらいかんやろ
偶然だったから観たものの
これがTVの番組表を見てただの「しあわせ」だったら見てたかなあ
(クロード・ルルーシュの名前が入っていたら観たかもね)
ま、オープニングでやられたから良かったけどね
これこそ『偶然と必然』の成せる技かな

posted susumu
04:27 AM | comment(2)

14 12 07

『情緒と創造』 岡 潔 

情緒と創造




この二つの精神活動、
とりわけ重要な「情緒」に不可欠な教育のあり方を模索し
心の不毛を助長するかのごとき現代の状況を憂う

岡潔は二十世紀の日本を代表する文字通り大数学者
高校時代に数学を教わった先生の恩師であるというのがちょっと嬉しい
それはともかく、彼の「情緒を数学という形に表現した」という言葉は含蓄が深い
勿論ぼくは門外漢なので彼が構築した多変数解析関数論の
素晴らしさは分からないけど直感的に思うところがある
それは、数学には二種類あって
ひとつは、構築されたまたは発見された数学の世界を検証確認確定して行くもの
もうひとつは、新しい数学の世界を構築または発見して行くもの
であり、彼は後者の人なのだと
何も無い所に何かを構築または発見するのは一見容易そうに思えるけど
これほど創造力と洞察力を必要とするものもあるまい
何しろ無人の荒野に独り出て開拓するようなものだから
しかも全くゼロという訳ではなく知覚できる原理原則の上にあるから尚困難だ
そういう大きな創造力を育てるものは何か
情緒であると彼は言っているのだ
成る程、世界を愛でる情緒がなかったら洞察も発見もないしまたその喜びもない
湯川秀樹が「詩と科学は近い」と言ったことを思い出す
そして、その情緒を育むのが教育であり限られた時間で行わなければ育たない
と彼は言う
更に、現代の教育は情緒を育むそれになっていないとも言っている
そして事実、現状は彼の危惧した通りになっている

ぼくは、人間を「思考する生き物」とは思っていない
単に「思考することができる動物」に過ぎないのであって
思考するかどうかは分からないからだ
つまり、人間は理性や悟性を生まれつき持ってはいないのだ
その意味で、人間は性善でも性悪でもなく
何らかの努力、何らかの習得によって理性や悟性を獲得するものなのだ
換言すれば、人間は学習や修練によって初めて人間になるということである

ここに教育の果たす役割は大きいと思うのだけど
その強制のタイミングと強度のバランスが非常に難しい
バランスを失うと人の中に情緒が育たず自由な発想も生まれない
ところが今は、受験という即物的な目的に強迫されていて
知識も思考力も偏重してしまっている
時代が過酷になればなるほど
必要になるのは多様な価値観と自由な発想なのに

後段、仏教用語が出てきて多少戸惑う部分もあったが
人間を深く洞察した仏教の教理の中に素晴らしいものがあったのだろう
やはりそういうところに行き着くのかなあ
特に知性の開花を仏教的段階で説明するあたりは面白かった
それに読後いろいろ調べているときに感じたのは
彼の情緒や創造力の根本が和歌山の自然にあったのではないか
ということである
自然の中に独り静かに身をおくことの大切さを
改めて想った

posted susumu
03:31 PM | comment(0)

08 12 07

ギザのピラミッド




人間の手が加わった景観で感動したものと言えば迷わず
このギザのピラミッドとニューヨークのマンハッタンを挙げるだろう

カイロからバスで行ったのだけど近づくにつれてドンドン見えなくなって行く巨大さ!
そのバランスの良さ、形態の潔さ、そして美しさにただただ息を呑むばかり
内部の大回廊の石組みも一体どのようにしたのか想像もできない
現状のただの石の集積物として見ても圧倒的だが
当時ピラミッドの表面は磨かれた大理石で覆われ天辺には
黒御影のキーストンが載っていたという
あの太陽の鋭い反射光を地平線の彼方に放っていたのだ
ああ、満月の夜などはどうだろう 考えただけで気が狂ってしまいそうだ
この凄さは明らかに時代を超えている
この構築物の本当のすばらしさを知ったのはその場所を離れたときかもしれない
カイロ旧市街の丘にあるモスクの広場から
西方の霞のかかった何もない地平線に夕日を眺めたときだ
幽かにしかし明快な直線で構成された三つのシルエットが
砂漠を背景にポツンとあったのだ
まるで一瞬のアクセントのように

posted susumu
11:48 PM | comment(0)

07 12 07

ヘルシンキ

日本を出て3日目
ようやく最初の目的地ヘルシンキに着いた
朝8時、海から見るヘルシンキの町は白く輝いていた
何と遠くまで来たものだ

ぼくはまずヘルシンキ中央駅に向かった
この駅はエリエール・サーリネンの設計で
内部はアーチに包まれた巨大は空間になっている
その構成要素がそのままファサードのデザインになっているのだが
一直線に伸びた庇も格好良く実に明快で威厳がある

駅舎部分には宿泊施設やシャワー郵便局・銀行などが完備されていて
ちょっとした国際ホテルの雰囲気だ
ヘルシンキにいる間に何度も遊びに行ったが
この雄大な空間に車軸の大きなモスクワからの列車が入って来たときは
妙な感動を覚えたものである
このときはまだソ連は崩壊していなかったのだ

駅に荷物を預け地図を買って街に出た
ホテルの予約を済ませて市内を散策してみた
まず驚いたのは銅製や真鍮製の扉が多かったことだ
ステンレスの鏡面などはとても少なかった
銅や真鍮は木と良く馴染むのだ
看板も控えめで1階レベルで処理されているし電信柱もないから
日本やアジアの都市の猥雑な都市風景とは全く異なる景観だった

足を伸ばして街の丘の中腹にある岩の教会TEMPPELIAUKIOに行った
これは大きな岩盤を爆破して穿った穴を使った教会で
壁は岩と砕石を積んだ部分、それとコンクリート打放しで構成されていて
銅版を巻いた見付の細い梁材が放射状に展開する天井が
空中に浮くかのように岩盤の壁面との間に隙間を空けてサイドライトを取り込んでいた
家具も空間も質素で品があった

今度は海の方に降りてアアルトが設計したフィンランディア・シティーホールに向かった
彼独特の、空間に豊かな表情と深みを与えてくれる“破調”を直に観ることができて
とても嬉しかった
ミースはちょっと別だけど、コルビュジエやアアルトの建築の中には
ある音楽的な破調があってそれが全体のハーモニーに緊張感を与えている
そしてこの“破調”が今後のデザインに繋がるのではないか、と当時から思っていた
だから北を目差したのだけれど、、、、、

翌日は日本大使館に行ってフィンランド建築家協会の住所を教えてもらった
当初は、いきなり訪問して、と思っていたのだけど
この数日間で自分の英語力の無さに腰が引けてしまい
場所だけ確認してタピオラなど訪れて時間を過ごした
それからホテルに帰ってレポートを書いてそれを英訳してそれを完璧に覚えて
建築家協会に行くことにした
主旨は、この国で建築デザインの実務経験を積みたいので
そのような希望を受け入れてくれる設計事務所を紹介してほしい、ということだった

ネクタイを締め靴を履き背広を着て出かけた
協会は丁寧に応接してくれた、がぼくの英語がいけなかった
思っていることの半分も伝わらない あせった
脇の下は汗びっしょり、説明が上手く伝わらない
どんどん焦ってどんどん訳がわからなくなりとうとう
ヘルシンキの設計事務所で働いている日本人を紹介してくれ
みたいなことになってしまった
当初の主旨目的とは全然違うけど
とにかく紹介してもらった日本人に会って話を聞いてみれば
また何か活路も見出せるだろうと思うことにした

協会が紹介してくれたのは4人だったが、連絡がつくのは二人だけだった
ひとりは設計事務所に勤めるTさん
もうひとりは市役所の都市計画課で働いていたYさんだった
其々に時間を空けてもらって会い
仕事場を見せてもらい実務の違いなどを教えてもらったりしながら話を聞いたが
結論は「他国はともかく社会保障制度の高いこの国での就労は極めて困難」
ということだった
Tさんは「イタリアやスペインなら可能ではないか」とも言ったが
ぼくは何処でも良いと思っていた訳ではないし「もぐり」で働くつもりもなかった
いきなり大きな壁にぶつかってしまった
社会制度の壁では問題が大きすぎる
余程の理解者・支援者がいないと時間もかかるだろう
そんなツテも人脈もないぼくは途方にくれてしまった

失意の内に訪れたシベリウス博物館はぼくを慰めてくれた
中央のダウンフロアーにコンサートホールを配し
回廊形式で並ぶ展示台と窓の関係がシンプルに、しかしバランス良く構成されていた
コーナーからの外景の取り込みが借景となっていて上手かった

もう少し当たれば、もう少し時間をかければ何とかなったかもしれない
Yさんもそうすることを勧めてくれたが
このときのぼくには何故かそんな心の余裕はなかった
ぼくはヘルシンキを離れることにした

posted susumu
02:33 AM | comment(0)