cafe ICARUS

presented by susumulab

« ギザのピラミッド < mainpage > 偶然と必然(邦題=しあわせ) »


◆『情緒と創造』 岡 潔 

情緒と創造




この二つの精神活動、
とりわけ重要な「情緒」に不可欠な教育のあり方を模索し
心の不毛を助長するかのごとき現代の状況を憂う

岡潔は二十世紀の日本を代表する文字通り大数学者
高校時代に数学を教わった先生の恩師であるというのがちょっと嬉しい
それはともかく、彼の「情緒を数学という形に表現した」という言葉は含蓄が深い
勿論ぼくは門外漢なので彼が構築した多変数解析関数論の
素晴らしさは分からないけど直感的に思うところがある
それは、数学には二種類あって
ひとつは、構築されたまたは発見された数学の世界を検証確認確定して行くもの
もうひとつは、新しい数学の世界を構築または発見して行くもの
であり、彼は後者の人なのだと
何も無い所に何かを構築または発見するのは一見容易そうに思えるけど
これほど創造力と洞察力を必要とするものもあるまい
何しろ無人の荒野に独り出て開拓するようなものだから
しかも全くゼロという訳ではなく知覚できる原理原則の上にあるから尚困難だ
そういう大きな創造力を育てるものは何か
情緒であると彼は言っているのだ
成る程、世界を愛でる情緒がなかったら洞察も発見もないしまたその喜びもない
湯川秀樹が「詩と科学は近い」と言ったことを思い出す
そして、その情緒を育むのが教育であり限られた時間で行わなければ育たない
と彼は言う
更に、現代の教育は情緒を育むそれになっていないとも言っている
そして事実、現状は彼の危惧した通りになっている

ぼくは、人間を「思考する生き物」とは思っていない
単に「思考することができる動物」に過ぎないのであって
思考するかどうかは分からないからだ
つまり、人間は理性や悟性を生まれつき持ってはいないのだ
その意味で、人間は性善でも性悪でもなく
何らかの努力、何らかの習得によって理性や悟性を獲得するものなのだ
換言すれば、人間は学習や修練によって初めて人間になるということである

ここに教育の果たす役割は大きいと思うのだけど
その強制のタイミングと強度のバランスが非常に難しい
バランスを失うと人の中に情緒が育たず自由な発想も生まれない
ところが今は、受験という即物的な目的に強迫されていて
知識も思考力も偏重してしまっている
時代が過酷になればなるほど
必要になるのは多様な価値観と自由な発想なのに

後段、仏教用語が出てきて多少戸惑う部分もあったが
人間を深く洞察した仏教の教理の中に素晴らしいものがあったのだろう
やはりそういうところに行き着くのかなあ
特に知性の開花を仏教的段階で説明するあたりは面白かった
それに読後いろいろ調べているときに感じたのは
彼の情緒や創造力の根本が和歌山の自然にあったのではないか
ということである
自然の中に独り静かに身をおくことの大切さを
改めて想った

posted:susumu141207

コメント




保存しますか?



copyright(c) 2005-2011 susumulab all right reserved.