cafe ICARUS

presented by susumulab

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31 01 08

バットマン・ビギンズ

バットマン ビギンズ






クリストファー・ノーラン監督の映画はこちらが最初だった。
彼は、この一本でバットマンを根底から変えてしまった。

それまで描かれてきたものは
アメリカン・コミック・ヒーローとそのTV化のテイストを踏まえた
映画化の範疇を出ないものであったが
クリストファー・ノーランはバットマンを生身の人間として
受け止めて真正面から描くことを徹底する。

例えば、何故バットマンなのかを幼年期のトラウマと重ねて丁寧に描く
バットマンカーもTVシリーズで人気の漫画チックなスタイルを踏襲しない。
バットマンの翼の現実性さえ説明しようとする。

その結果、架空であるはずのヒーローのリアリティーが増し
周辺の人物の描写も俄然立体感を帯びてくる
特にヒールの存在、ラール・アズ・グールが
ハリウッドの勧善懲悪的な型に嵌った「悪」ではない点が大きい
彼の配下であるスケアクロウも含め
ヒールもまた人間離れした能力を持っていない
生身の人間であることが返って恐い。

音楽は『グラデュエーター』、『ラスト・サムライ』のハンス・ジマー
重層的なメロディーが映像世界にピッタリとマッチしている。

今夏には
クリストファー・ノーランとクリスチャン・ベールの
『バットマン・ビギンズ』コンビによる最新作
『The Dark Knight』が公開される。

ジョーカーは一体どんなふうに描かれるのか、
今から待ち遠しい。

posted susumu
09:04 AM | comment(0)

29 01 08

アスワンの木陰

照りつける太陽の下に佇む
小さなドームとそれに寄り添う一本の樹木

アスワンのウエストバンクを散策しているときに見つけた風景
集落からは少し離れているし
ドームのデザインからみて
住居というよりは儀式的な要素が強いと感じた
樹木も何処かしら威厳があった

そのリズムとハーモニーのやさしさに魅せられて
描いた一枚

posted susumu
09:29 AM | comment(0)

26 01 08

北のホテル

「風のファルーカ」の中では、当時の日記を頼りに20数年前の「ぼく」が
世界のあちこちを愛と感動に満ちた放浪をしているのだが、
強烈に覚えているのに日記には全然書かれていないことが時々ある。
これは、そんな話のひとつ。

北欧にいた頃だから日本を離れてまだそんなに経ってない。
その日、ぼくはある小さなホテルに泊まった。

建物はほんの少し高台にあって
その飾り気のない箱型の建物はアプローチから見て斜めに構えていた。
だから、見えるのは建物の正面と横の壁だけ、
フロントヤードには樹木が結構生えていたかなあ。

外観は粗いコンクリートの打ち放し
エントランスホールのインテリアも実にあっさりとしていて飾り気がなく
それでいて落ち着きがある、北欧家具に通ずる上品さがあった。

で、レセプションに行くと輝くばかりの金髪の女の子がキュートな笑顔で
ポツンと座っている。

ワオ!すごい美人だ。

どぎまぎしながら宿泊の手続きをしていると、彼女と良く似た女性が
「いらっしゃいませ」という感じで出てきた。

オオ!これまたすごい美人だ。

受付が終わったら、今度は別のラフな格好をした女の人が出てきて
「洗濯するならランドリーはこっちよ」と地下に案内してくれたが、
彼女も他の二人と似ている。

当然メチャメチャ美人だ。

聞けば、三姉妹だとか。ひゃあー。
こりゃ本物の三美神だよ!
いるんだね、こんな人たちが世の中に!
と妙にウキウキしながら部屋に案内してもらいました。

という話ではなくて、、、、

案内された部屋は、エントランス同様にシンプルな構成で
しかもエレガントに纏まっていた。
カーテンは模様のない単色の綺麗なイエローだった。

翌朝、下のレセプションで朝食チケットを買った。
このホテルには食堂がなく、
向かいにある建物のレストランに行かなければならないのだ。

ホテルの真ん中あたりにある出入り口から庭に出て
綺麗に手入れされた芝生の中の小路を緩やかに降りていった。
正面に見える白い建物は、これもすこし体をひねっていて色気がある。
形は立方体で、庭に向かって二面がスチールの細い枠で構成された
ガラス張りのグリッドになっている。

ホテルの構え方、食堂への導き方、建物のボリューム、
どれをとっても申し分ない、おまけに美人三姉妹だもんなあ、
などと思いながらふと後ろを振り返ってびっくり。

ホテル棟がパターン画のような色の洪水じゃないか!
それは正面のコンクリート打ち放しのモノトーンとは全く違う表情だ。

客室の開口部はこの庭に面して連続しているのだけど
そのカーテンが、赤、黄、青など各室バラバラに構成されていたのだ。
その鮮やかなこと。

このために他の部分の色をストイックなまでに抑えていたんですね。

しびれました。

食堂になっているレストランも天井高が高く、清潔感があって
とても気持ちが良かった。
終始ニタニタしながら朝食を食べているぼくは
結構痛い感じに見えただろうな。

細やかさと大胆さ、シンプルなのに複雑、地味だけど華やか。

完璧でした。

posted susumu
03:42 PM | comment(0)

24 01 08

『ワンダフル・ライフ』スティーブン・J・グールド

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)
←これは文庫本の表紙。単行本のデザインの方がいい。




今から5億7千年前の「カンブリア紀の爆発」と呼ばれる
巨大な生物デザインの実験室の如き時代のお話

それは1909年カナディアン・ロッキーの山中にあるバージェス頁岩で
ウォルコットによって発見された化石に始まる。
彼はその化石の中に現われる古生物たちを
単純から複雑へ向かう「伝統的な生命観」に従って整理・分類していった。
以後50年以上にも渡って、そのまま信じられてきた。
だが、それはまるで見当違いだったのだ。

ウェッティントンというケンブリッジ大学の教授が1971年に発表した論文は、
ウォルコットの解釈に再検討を加えるものだった。
それは、これまでの生命観そのものを改めなければならないことを、
また、進化の帰結として人類が存在しているわけではないという真実をも
ぼくたちに突きつけてくる。

進化は単純から複雑へと系統樹のように進む、というほど単純なものではない。
もう一度生命誕生の時代にリセットできたとしても、
今のぼくたちとおなじ人類が存在するかというと極めて危うい。
この生命のプロセスは1回しかないということだ。

前世とか来世とか言っている場合ではないのである。

よく考えてみるとこれは本当に凄いことで、
この世界は奇跡の連続でできあがっているということなのだ。
だからこそ、ただ一度きりの「ワンダフル・ライフ」なんだなあ。

この中に登場する、アロマノカリスとかオパビニアなどは
NHKのスペシャルで動く模型まで作られていたから
今は知らない人はいないだろうけど、その魁となった本ではないか。

作者のスティーブ・J・グールドは、
『利己的遺伝子』のドーキンズとともに人気のある科学者であったが
残念ながら数年前に他界した。

この本を読むと、既成の概念に縛られてしまう人間の弱さと
5億年以上も昔に起こった生命デザインの不思議と
かけがえのないたった一度の
生命史の輝きの中にいる自分に驚かざるを得ない。
“What a wonderful world!”

posted susumu
12:11 PM | comment(0)

21 01 08

ランカスターで道草

昨夜は最悪だった。
寝ている間にシュラフ(寝袋)の端が濡れてきのだ。
体は冷たく、疲れているのに少ししか眠れなかった。
8時に起きて1時間後、朝方止んでいた雨がまた降り出した。

暫く歩いて大木(オークだろうか)の下で雨宿りをして待ったが
空は益々黒く低くなるばかりだ。
まいったなあ、もう湖水地方は諦めて駅に戻ってロンドンへ向かおうか
とも思ったけど
これはこれで夜の8時にロンドンに着くことになり宿探しに苦労しそうだ。
迷ったが、結局徒歩でアンブルサイド(Ambleside)を目差すことにした。

昨夜の疲れで体が思うように動かず休み休み歩いたけど
歩く程に雨足は強くなり最早本降りになってしまった。
雨を凌げる場所もなく、背中のシュラフも濡れてずっしりと重くなり
遂には着ている服の中まで水が染みてきた。
体温が奪われるのが分かる。寒い。

それでも、殆ど意地と惰性で歩きつづけて4時間後
漸くアンブルサイドに着いた。

倒れるように町の入口にあるユースホステルに飛び込もうとしたら
ぼくと同じびしょ濡れの二人組みが中から出てきて
“There is no room.”
「嗚呼、ここもかよ!」
重い体に鞭打ってインフォメーションセンターに向かったが、
着いたらなんと昼休み。

もう笑うしかない。

このまま待つのも何だか悔しいので
街中のB&Bを探しまくったがどれもこれも“NO VACANT”
「もうあかん、限界や」と思った、
その目の先に何と“VACANT”のサインが!!
尋ねると、シングルが一室空いている。
ほんとにたった一軒、たった一室。

奇跡だ。

やったあ!
今日はふわふわのベッドで寝られる、風呂だ、熱いシャワーだ。
ぼくは泥のように眠った。

翌朝、足の筋肉はまだ痛かったが体力は大分回復していた。
濡れた衣服やシュラフを乾かすためにももう一泊することにして
軽装で街に出た。
薄曇りだけど雨はない。

国道から外れて山道を隣町のグラスミア(Grasmere)に向かった。
昨日、ぼくは霧に霞む雄大なウィンダミア湖を右手に見ながら
でもずぶ濡れになりながら必死に歩いていたから
景色を楽しむ余裕など何処にもなかったけど
今は、軽く陽の差すのどかな湖水地方の風景を体一杯満喫している。

あまりにものどかで昨日のことが嘘のようだ。

やがて小さな湖がひとつ見えてきた。
その向こうには緩やかな稜線を持つ高い山が連なっている。
絵のような風景だ。

行き交う人が皆声を掛けてくる。

この美しい風景は大自然のそれではない。
産業革命はイギリスを発展させたが、国土は激しく荒廃した。
豊かな田園風景は人々の努力の結果大切に保存されてきたものだ。
それがこの湖水地方、ピーター・ラビットの故郷、ナショナルトラストの原点、
ラスキンや彼を受け継ぐウィリアム・モリスのアーツ&クラフト運動の
思想的起点になった場所でもある。

また別の大きな湖が見えてきた。グラスミア湖だ。
目的の町には歩き始めて三時間後に着いた。疲れはなかった。
帰りはルートを変えて国道A-591沿いを歩いた。

翌日はアンブサイドを離れKeswickからPenrithを経てCarlisleに向かった。
ここからロンドン行きの夜行列車に乗るつもりだった。
時間はかなりあるので街中散策。

ふと思いつき「ハドリアヌスの壁」を探してみたけど見つからなかった。
石積みの低い長城のはずだけどニューキャッスルからこの町まで120キロ余り
ローマ帝国の五賢帝の一人、ハドリアヌス帝が二世紀に造らせたものだ。
彼の時代にローマ帝国の版図は最大になる。
ハドリアヌスといえば、ヴィラ・アドリア―ナを造ったことでも有名な人物。
余談序でに、地図を見ると湖水地方は”Cumbria”と書いてあるけど
そうあの「カンブリア紀」のカンブリアです。
この地方で発見された約5億5千万年ぐらい前の地層に由来している。

夜九時ごろ、カーライル駅で手持ち無沙汰にぽつんと待っていたら、
ひとりの男性が語りかけてきた。
スリランカ出身のエディという60歳の看護士さんだった。
どうやらランカスター行きの電車に乗り遅れたらしい。
サンドウィッチなどもらって喋っているうち
彼を心配した友人のマークさんとそのお母さんが迎えにきた。
「よかったら家にこないか」と誘われ「それもいいか」と思い予定変更
ランカスターの町に行くことにした。

翌日はランカスターの市街をエディさんと見て回った。
夕方にはマークさんの友人で学習院大学で講師をしていたという
スタンレーという人も加わり本格的なスリランカ料理をご馳走になった。
いろんな話をした。建築のことや日本のこと、ヘルシンキでのことなど。
彼らは親身に聞き、ぼくを元気付け勇気を与えてくれた。

そして深夜、ぼくはランカスターの駅から再びロンドンを目差すことにした。
夜の駅は危ないから、と三人が見送りにきてくれた。

見知らぬ町に立ち寄り、そこを離れるときにはもう手を振る相手がいる。
不思議なことだ。

扨、ロンドンには何があるのやら、モラトリアムの時間が流れてゆく。
ぼくの旅はまだ始まらない。

posted susumu
03:44 PM | comment(0)

17 01 08

ヴィンチ村

小さくもかわいい集落がひとつ
レオナルドが生まれたヴィンチ村の風景だ

彼の生家の近くでこの絵を描いた
空は晴れ渡り
バックに広がるトスカナの田園が何処までも美しかった

田畑が綺麗に区画され
緩やかにうねりながら続いていた
まるで色とりどりの絨毯でも敷き詰めたみたいに

おそらくこの風景は何百年もの間変わってはいまい
レオナルド・ダ・ヴィンチは
確かに孤独ではなかったなあ
と実感した

posted susumu
02:05 AM | comment(0)

16 01 08

椿三十郎

椿三十郎<普及版>






モノクロ画面の中で紅い椿をより紅く感じさせるために
ひとつひとつ黒く塗ったことでも有名な黒澤映画の傑作。

映画には三つの大切な要素があると思う。
1. 脚本
2. 編集
3. 音楽
カメラと俳優は当然のこととして、
この三拍子揃ったものが名作と呼べるのではないだろうか。
例えば、「2001年宇宙の旅」
原作はSF界の巨匠アーサー・C・クラーク
人類史400万年を一瞬で視覚的に説明してしまう編集の凄さ。
音楽は全編クラシックの名曲揃いで新しい映像と見事にリンクする。
例えば「グラン・ブルー」
素潜りの達人ジャック・マイヨールの特異な人生を元にした脚本。
オープニングから観客を掴んで離さない編集の切れ。
エリック・サラのあまりにも透明な音楽がグラン・ブルーそのもの。
例えば、「アラビアのロレンス」
例えば、「ロード・オブ・ザ・リングス」
数え上げたら切りがない。

そしてこの映画「椿三十郎」、総て揃っている。
特に脚本は、本当に良く練られている。三人がかりで練りに練ったらしい。
森田芳光監督が新しく撮るのに、脚本は元のままを使ったらしいけど、
それは手を加える必要がなかったということだろう。

黒澤 明監督の映画の場合
後年の大作「乱」や「影武者」などは無常観が漂い何処か重いところがあるけど
この「椿三十郎」は単純に映画として面白くテンポもいい。
ただ面白いだけではなく、そこに人間の生き方がしっかりと描かれている。
これが映画の中で構築される世界を確かなものにしている。
やはりぼくは、黒澤映画の中ではこの「椿三十郎」を第一番に挙げたいなあ。

また、よく言われることだけど
シネマスコープの横長の画面を効果的に使った人物配置やカメラの動き
そのひとつひとつが実に美しくカッコいい。
たとえば、椿三十郎が大目付菊井の館を訪れて入口の大きな扉を叩き
その前で待つところ。
扉が音を立てて開き、黒光りする馬がバラバラと駆け抜けて行く。
それをカメラが下から主人公の肩越しに煽る。
ただそれだけだけど、それがダイナミックで流れるように美しい。

それと、やはり三船敏郎扮する椿三十郎の存在感。
日本人は究極の混血だから実に様々な容貌が人の顔に現われて面白いけど
あの顔は少ないのではないか。
外国を放浪していろいろな人種の顔を見てきたけどあの顔はなかった。
バタ臭い訳でもない、如何にも東洋人というのでもない。
独特の雰囲気のある、しかし紛れもないアジア人の顔立ち。
それにあの演技と何とも憎めない笑顔。
男前とかハンサムという言葉じゃちょっと納まらない。
オマー・シャリフやアンソニー・クウィンとかにも同じ雰囲気を感じる。
大正生まれの顔なのかなあ、
顔立ちだけではなく気位も含め、今はもう見かけない日本人のような気がする。

この映画は「用心棒」の続編として作られたのだけど
「用心棒」の原案は、ハードボイルド小説の傑作
ダシール・ハメットの「血の収穫」がベースになっている。
そして「用心棒」をベースにセルジオ・レオーネが撮ったのが
クリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」。
後に盗作の問題が出て裁判で決着がつくのだけど、
原作がアメリカなのだから原作からの西部劇にした方が易しかっただろうに
やはり「用心棒」のインパクトが強かったのだろうか。
クリント・イーストウッドは「三船敏郎の演技を相当研究した」と
後に語っているけど、そう言われれば、
目を細めたときの小皺まで似ている感じがするではないか。

最後の中代達也扮する室戸半兵衛との決闘はあまりにも有名だけど
脚本どおり「とても筆では書けない」。
じりじりとする長い間と一瞬の結末、そして惨たらしい死
やはり息を飲む。

2007年版の「椿三十郎」を観て、「こんな面白い時代劇があるんだぁ!」
とか言う前に、まずこっちを観てほしい。
「隠し砦の三悪人」もメチャメチャ面白いのだけど、また後日。

posted susumu
12:27 AM | comment(8)

15 01 08

『複雑な世界、単純な法則』 マーク・ブキャナン

複雑な世界、単純な法則  ネットワーク科学の最前線




たとえば今、あなたはジョニー・デップに会いたいとしよう。
で、友人に声をかけ彼に近そうな人を尋ねてこれを繰り返す。
そうして、何人の人を経由したら彼に会えると思いますか?

世界はインターネットを通して嘗てない程に
情報やコミュニケーションの距離と時間を縮めた。
世界は確かに狭くなった印象がある。
でも、本当にこの世界は狭いのか。
そこには何か根拠や法則でもあるのだろうか。

ここで冒頭のクイズに戻る。
世界の人口は既に70億近い、そんなに「広い」世界で
全く面識のないハリウッドスターの彼に繋がるのには恐らく
相当な数の友達の輪が必要だと思いません?

答えは6人。

そう、たったの6人!

それだけの人間を経由すれば憧れの人に繋がるのだ。
これを「6次の隔たり」と呼び、それが特別な場合だけではなく一般的にも
成り立つのがこの社会的世界(social world)の特徴であるらしい。
70億近い人口の広がりがありながら、何故6人で済んでしまう程に狭いのか。
(これをスモールワールド(small world)「狭い世界」と呼ぶ)
それには一体どのような秘密が隠されているのか。

例えば、インターネットの世界は勿論アメリカの電力網と線形動物の神経系も
同じスモールワールドのネットワーク構造になっているらしい。
人間の脳内の神経細胞を繋ぐネットワークも同様の組織的構造を持っている。
それだけではない、生体細胞内で相互作用をしている分子群のネットワークも
同じ構造であることが分かってきたのだ。
これはつまり、物理的な世界でも人間の世界でも同じネットワーク原理が
作用していることを示している。不思議ではないか。

本書は、このようなスモールワールドのネットワークの解明を通して
(といってもまだ完全に解き明かされてはいない)
数々の発見や特徴的な現象について言及してゆく。

中でも、本書で取り上げられているインターネットのネットワーク地図と
ビール酵母のたんぱく質間の相互作用を示す図とが構造的に酷似していることに
単純に驚いてしまう。
また、インターネットのネットワーク地図は、ガラスにできる氷結の模様にも似ていて、
これなども単に「似ている」だけではないメカニズムがあるようだ。

このスモールワールドの構造は混沌と秩序の中間にあるような構造らしいけど
それが「あなたまで6人」という現象になるところが何ともロマンチックだ。
実際、ミュージカルにもなっていて
何だか夢がそう遠くないようにも思えてくる話ではないか。

posted susumu
01:57 AM | comment(1)

10 01 08

すまいcafe(第30回) 

JIA(日本建築家協会近畿支部)とINAX共催事業である“すまいcafe”を
今月の19日(土曜日)、午後2時~5時迄、INAX大阪ショールーム内で開催します。
●今回のテーマ:
「家族とLDKをデザインする」
-“こころ”をつなぐ住まいの工夫-

●参加建築家(以下敬称略):
大嶋明、八木康行、鈴木道子、高光良和
●コーディネーター:塚原秀典

このすまいcafeは、
よくあるメーカー主導の「建築相談」とか「セミナー」とは
全く異なる活動ですから、営業的な勧誘とか誘導的行為は一切ありません。

実はこの立ち位置がポイントです。
皆さんにその価値を上手く利用していただければ嬉しいのですが
いまいちそのあたりがちゃんと伝わっていないのが少し残念なところです。

すまいcafeを共催するINAXは、自社の品物のPRが目的ではありません。
メーカーとしては、ショールームに足を向けてもらえればそれでOKなのです。
興味があれば皆さんが直接ショールームの中をご覧になるでしょうから。
また、JIAの参加建築家も個人的なPRが目的ではありません。
大きな視点で建築家の存在と価値を分かってもらえればそれで十分なのです。
興味が湧けば、後日その建築家に直接コンタクトを取れば良いことですから。

ということは
「自由で公平な意見交換ができる」
ということなのです。
このスタンスは、偏向のない情報や意見を求める上で大変有効です。

すまいcafeの内容としては、一応各回(年4回)にテーマを決めて、
はじめに建築家それぞれのアイディアや考え方を短く聞いて、
あとは、喫茶店でお茶でもするような感覚で茶菓を楽しみながら
建築家を囲んで住まいの様々な問題について自由に語り合う形式です。
個人的な相談でも一般的な質問でも問題提起でも何でも結構
特に結論を出す必要さえありません。

バランスのよい情報収集の場として、是非一度訪れてみてください。
住所・連絡先はこちらから

posted susumu
01:23 AM | comment(0)

09 01 08

雨の湖水地方

ベルゲンの港でニューキャッスル(Newcastle)行きの船を待っていると
目の前に不思議な青年が佇んでいるのに気がついた
バックパックからカットボード(まな板)とパン切り包丁を取り出し
膝の上に載せてパンとチーズを丁寧に切り分けて
悠然と食べはじめたのだ

お互い目が合って話し掛けた

生まれはオーストラリア、名前はロス(Loss)といった
彼は23歳、オーストラリアを出てもうかれこれ5年
彼の家は大きな農場でセスナ機も所有している
16歳で結婚して国には子供がいるとのこと

別に離婚したわけでも逃げてきたわけでもない
作家志望でいろいろなものを見たり経験したくて旅に出たらしい
農園で働いて金が貯まったら旅を始めて
お金がなくなったらまた何処かの農園に行って住み込みで働きお金を貯める
そんなやり方で彼はこの旅を続けてこれまで61カ国を放浪し
あと1・2年したら家族の待つオーストラリアに帰るらしい

後にも様々な国のバックパッカーと知り合ったけど
オーストラリア出身者には国を出て何年という猛者が多かった
南半球の国だからどの国に行くのも遠く費用もかかる
だから、一度出たら貪欲にあちこち見て回るようだ

イギリスへの入国審査はとても厳しかった
滞在先の後見人が必要だとか言われたので困った
所持金を示し職業を説明してようやく数ヶ月のビザを発給された
やはり不法滞在・不法就労が多いのだろう

船は無事ニューキャッスルの港に着いた

ロスはここのユースに泊まってから北へ行くらしい
ぼくは西に向かって、ナショナルトラスト発祥の地である湖水地方に立ち寄ってから
ロンドンに向かうことにした

船を降りてからも荷物の管理やチケットの件など
ロスには随分と世話になったけど
いざ別れの段になっても気の利いたお礼の言葉が言えず
そのことを彼に詫びたら
「大丈夫、それが短い言葉であっても心の底から出ているものなら問題ない
ちゃんと伝わっているから
それと、英語力を高めたいなら簡単な方法があるよ
一、英語の本を読むこと
二、日本人と極力話しないこと
三、相手の言うことをしっかりと聞くこと
これだけやれば直ぐに上達するよ」
と言った
ぼくは後にこれを実践したけど効果は抜群だった

ニューキャッスルの駅でロスと別れたぼくは
湖水地方の町ウィンダミア(Windermere)行きの列車に乗った

それにしても彼の生き方はどうだ
実に堂々たるものだ
ただの旅行でもなく放浪のための放浪でもない
お金がないのに貧しくはない
彼には旅がまるで学校のようでさえあった
あてもなくロンドンに向かう自分はどうだ
と考えさせられた

列車は
なだらかな稜線をもつ山の連なりの間をすり抜けていった
森も何処かやさしく荒々しさがない
美しいけどそれ自体が計算されたような人工的な匂いのする風景だった
ぼくはふと、この国が産業革命の頃に
それまであった森の樹木を切り尽くしてしまったことを思い出した

ウィンダミアに着いたときは午後8時を回っていて小雨が降っていた
しかも土曜日、まずいなあ
と思いつつ閉館間際のインフォメーションで尋ねたら
案の定、ホテルは総て満杯

街中を歩いてみたが雨宿りできる場所もない
仕方がないので駅に泊めてもらおうと思って行ってみると
入口は既に閉まっていて駅員らしき人の姿もない

あてが外れて駅前で困っていると警邏中のパトカーがやってきた
一瞬迷ったが、警察署に泊めてもらおうと思い立ち
ぼくの方から近づいて行った
話は親切に聞いてくれたが返事は意外なほど明快に「ノー」だった
何度頼んでも返事は変わらなかった

結局ぼくはその夜、バス停のベンチの陰で寝た
この旅で初めての野宿だった
空気は冷たく
小雨が止むことはなかった

posted susumu
12:09 AM | comment(0)

08 01 08

大気圏

月から見た地球、とっても綺麗だ
良く見ると地球の縁が薄青く
蛍光灯のように光っていて宝石にように美しい

その薄青く光っているのが大気圏だ

あの膜のような大気圏はどれくらいの厚みがあるのだろうか
一体どれくらいの高さで宇宙空間に到達するのだろうか

大気圏としては800km
宇宙空間との境界としては150km前後の厚みらしい
そこまで行けばもう漆黒の闇だ

東京から大阪までは約600km
のぞみなら2時間半で行ける距離だ
150kmなら
大阪から名古屋あたりまで
東京なら静岡までぐらいかな
アッという間に着いてしまう

たったそれだけの厚みしかない

そんなにも薄い僅かな厚みに守られて
ぼくらは生きている
この青い星の下で

posted susumu
12:42 AM | comment(0)

06 01 08

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家

2008年はここからスタートすることにしよう。
彼の家は村の中心から2kmばかり離れた山の高台にあった。

行ったときは休館日だったか何かで中には入れなかったが、
それはまるでレオナルドの人生を象徴するかのように
静かで孤独な佇まいだった。
暫くして、
ぼくはオリーブ畑の中に入って行きメモ帳を開いた。
眼下に広がる風景や自然を友達に、
ひとり学び遊んだ彼を想いながら。

posted susumu
12:03 AM | comment(0)