cafe ICARUS

presented by susumulab

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31 05 12

失言

閣僚の顔ぶれが変わる度につまらない「失言」を論い
笑いものにしてはそれを根拠に人物の適性・資質までこき下ろし
政治的混乱に拍車をかける
最早ニッポンの風物詩だけどメディアは一体何を目差しているのだろうか

現防衛相田中直紀氏のことをいっているのではない
擁護するつもりもない
昨今のマスコミの政治家に対する報道の中で
特に、「失言」をスクープしてはスキャンダラスな失脚に追い込むやり方に
清廉な批判精神で政治家を鍛え育てようという志が
欠片も見えず何ともやりきれないのだ

閣僚の資質も知識もないのに大臣職に納まっているのも情けないけど
知識のなさをのみ追求して政治家の資質を問うのも大人気ない
政治家の問われるべき資質はそんなところにはないだろう

勿論つまらない失言をしてしまう政治家がいけない訳だけど
最近はその「失言」がマスコミの誘導ではないかと
不快に思うことがある

去年のことだけど、当時閣僚だった鉢呂氏の
大臣辞任まで至った一連の「失言(行動?)報道」もそのひとつだ
問題となった最初の「死の町」発言をニュースで見たとき
反射的に「またか」などと思ってしまったが
「いやいや、待て待て。今の発言のどこがいけないんだ?」
とその報道に違和感を覚えた

このときの発言は動画として残っているから前後の流れを確認できる
彼は自分が目にした被災地の厳しい光景を正直な感想として
「死の町」と形容した後で
不倒の努力によってこの状態から完全復旧復興する、と決意表明したのである
それは被災地を愚弄したわけでもなければ嫌悪したわけでもなく
況してや冗談でもなかった
たしかに「死の町」という言葉だけを取り上げれば
あの時期に避難している人々に対して配慮を欠く面があったかもしれない
が、根底に悪意は無い いや、寧ろ状況を真正面から受け止めた結果だろう
殊更「死の町」だけを切り取った報道の側にこそ悪意を感じる

そして、続く問題の曖昧な「放射能」発言
その内容は一国の大臣が記者の前で言うことではないし
本当に鉢呂大臣が言ったとはとても信じられなかった
で、調べてみたところ
これが同席した記者の間で聞いた言葉も行動も各紙微妙に違った

おかしいじゃないか!
大臣が、彼を取り囲む記者を前に発した言葉が其々違うなんて!

恐らく、
彼なりの心許した記者たちに対する軽い冗談のつもりだったか
スキンシップだったのかもしれない
勿論それはあまりにも軽率な行為だ
であればこそ、記者はこれを記事にする前に
その言質・真意を本人に確かめるべきではなかったのか?
囲みに中で大臣がとった一瞬の行為言動なら尚更の事ではないか
これじゃあゴシップ記事と何ら変わらない
それどころか、捏造、創作の嫌いさえ感じられる

鉢呂大臣辞任の弁も情けない
「本人としてはそのような発言をした記憶が定かではないが
同席していた記者たちはこの道(報道)のプロだから
彼らが「言った」と言うのなら多分私が言ったのだろうと思う
これ以上政治的混乱を招く訳には行かないので辞任する」
という主旨だけど全く説明になっていない


健全な批判精神は優れた政治家を育てる

その逆はない

posted susumu
01:33 PM | comment(0)

27 05 12

ブリュッセルで六甲おろし吹き荒れるの巻


ブリューゲルの時代を想わせる
ブルージュの街を訪れた
少し観光地化されているような気もしたけど
水に囲まれた美しい景観を楽しんだ
夕方ブリュッセルのユースに戻ると
フロント・マネージャーに呼び止められて、、、


見ると、日本からただいま到着みたいな旅行者が二人
言葉が通じず困っているらしい
宿泊の条件やら何やらサポートし終わったら
「えらいすんませんなあ 助かりましたわ」
「えっ、関西の人?大阪ですか?」
「そうですねん」
「いつ日本出てきたんですか?」
「おとついですわ」
「じゃあ、タイガースどうなったんか知ってはりますか?」
「優勝しましたで!それ見てから出てきたんですわ!」
「ほんまですかあ! やったあ! 阪神タイガース 万歳!」
「で、道頓堀で誰か死んだでしょ?」
「それはないですけどあの辺りはどえらい騒ぎで
ケンタッキーのオッチャンが放り込まれてましたわ」
ウウウ(泣いています 優勝した嬉し泣きとその場にいない悔し泣き)
「祝杯あげよ、祝杯」
有無を言わさずぼくは彼らを誘い近くのカフェに繰り出し祝杯を上げた
その後、この北井さんと辻さんの関西コンビとは
アムスに行ったりドイツに入る頃まで時々行動を共にした

阪神タイガースは不思議な魅力をもったチームだ
強いのに弱い だらしない試合が多い
優勝からはすっかり遠ざかってこれが21年ぶり
だから、ファンの気持ちはかなり屈折している
調子がいいと落ち着かない人が結構いる
連勝なんかするとかなりヤバイ
かわいさ余って憎さ百倍、悪口しか出てこない人もいる
ぼくですけど
昔お世話になった予備校の先生は
連敗すると体調壊して普通に学校休んでたもんね
ファンというより阪神タイガースという病気です

このころ国際化だ、グローバル化だなどと言われたものだけど
阪神タイガースファンは当時から既に国際的でした
派手で喧しくときに暴徒と化す
お行儀のよい日本人のイメージとは程遠いそのキャラは
イギリスのフーリガンにも負けない凶暴さだ
(最近はすっかり大人しくなってしまってらしくないが)

2011年、テネシー州からきたデザイナーの通訳をする機会があったとき
彼女「明日、甲子園にタイガースの試合を観に行くの」
と楽しそうにいうから
「タイガースのファンは凄いよ 知ってる?」
「何言ってるの アメリカでも超有名よ!」
(やったあー 25年前に移した病気が世界中に伝染している イヒヒ)

嗚呼、それにしても残念
今度タイガースの優勝を見られるのはいつのことだろうか
当分ないな ないよねー(と思っていたらありましたね)
ベルリンあたりで日本の新聞社に行って聞いてみよう 紙で見たい
よしっ、世界中にコアな阪神タイガースファンを広めてやるぞ
「おまえは虎だ 虎になるのだ」
などと騒ぎながらベルギービールを呑む程に
すっかり大トラ状態になってブリュッセルの夜は更けてゆくのでした

こんな感じの店で
ってこの頃いつも呑んで終わってるやんか

posted susumu
12:15 AM | comment(1)

22 05 12

白井晟一、建築を語る―対談と座談

白井晟一、建築を語る―対談と座談




白井晟一が好き 大好き
この世界に入ったときには既に孤高の人だった
今の時代には見られない
ストイックな設計態度を貫いた建築家だった


彼は自分の建築について寡黙な人だった
あれこれ問うより建築を観ろ、と

そんな彼の対談集がこれだ
昔は結構語っていたんだなあ
貪るように読みました
晟一マニアだったから大概の本はもっているけど
中には知らないものもあった

難しい話もあれば優しい話もある
相手の言葉と態度の深浅に敏感に反応する
それは ときに厳しく手強い

そんな中でも異色で
心に残るのが詩人草野心平との対談だ
おもしろい おもしろ過ぎる
もう強烈に創造の世界が乱舞する
縦横無尽 天衣無縫
二人とも本当に楽しそう

草野心平という人は凄い
詩人の鋭い目で 鋭い美意識でものの核心に一気に迫る
既成の価値観などすっ飛ばして本質だけを見抜く
それが白井晟一のユーラシア的な建築観と絡まって天空を翔ける
とりわけ蛙とセックスの話は最高だ
爆笑


ああ こんな出会いをしてみたい こんな会話をしてみたい

白井晟一が亡くなったとき
肉声を聞く機会がなかったことを心底悔やんだ

会いたいひとには迷わず会うべきだし
そのひとの声を聞くべきだ 
時間を惜しんだり怖気づいたりしてはならない
と思う


仕事がないときは
彼の図面集を眺めては
ここまでやるか
と感動し気持ちを奮い立たせる

さあ 人生
これからが本当の戦いだ

posted susumu
01:56 AM | comment(2)

18 05 12

ブリューゲルとマグリットの国

中学時代、シュールレアリスムに嵌った
なかでもマグリットの表現に強烈な影響を受けた
このブログにも極たまにコメントするIWAMOTOと一緒に京都まで出かけた
日本初のマグリット展(1971)には圧倒された
絵に興味のない父が心配してぼくたち二人を引率してくれたのが
今は懐かしい思い出だ

“Roll Over Beethoven”というチャック・ベリーの曲がある
それをもじって“Roll Over Magritte”という
グラフィック界に強い影響を与えたマグリットへの賛辞である
絵は決して上手くはない ダリには遠く及ばないだろう
オーラがない 通り過ぎても直ぐには分からないだろう
でも、知らないうちに間合いを詰められてしまう感じだ

公園に散歩に行っては樹木や枯葉を
スケッチすることもなく静かに眺めたりして
アトリエみたいなものはなく
愛妻のいるダイニングで描いていた
気が向けば、パイプを咥えて近くのバーでチェスをする
その行動は思索に耽る哲学者のそれだ
知的で透明感のある詩想と諧謔の描画は独特で一度観たら忘れられない
ぼくは、『大家族』に涙し、『これはパイプではない』に痺れ
『光の帝国』に酔った

ブリューゲルについてもIWAMOTOとは良く語りあった
『雪の中の狩人』の話が多かったかな
ぼくが好きだったのはこのブログ・タイトルにもある
『イカロスの失墜』(1558)
(ブリューゲル作ではなく無名の作家による模写というのが有力らしい)
主役であるはずのイカロスが何処にもいず
僅かにイカイアー海に沈む彼の片足だけが見えていて
空にはパラパラと羽根が舞っているだけ
「夢想に耽るものは人生を棒に振る」「実直第一」
というメタファーらしいが洒落ている 原画が残っていないのがとても残念
それに、何度観ても(というか複製画でしかみたことなかった)飽きない
『バベルの塔』
虫眼鏡で観るのがとても楽しい
ブリューゲルの場合、大体うんちしてる人がどこかに描かれているのが面白い
また、当時の建築技術や建築機械を知ることができるのも興味深い
現場で働く人たちの生活もしっかり描かれていて
洗濯物なんかがはためいていたりする
まるで江戸川乱歩の『パノラマ城奇譚』の主人公よろしくその世界にのめり込んでしまう
そして、このバベルの塔の基壇部分はモン・サン・ミシェルの造形に酷似していて
ぼくにはたまらない魅力がある

ベルギーは敬愛する二人の画家の生まれた国

ブリュッセルのユースは、最高だった
ちょっとしたホテルを超えていて、料理も素晴らしかった

次の日、ぼくはワクワクしながら、まずブリューゲルを観に出かけた
原画です 原画のオン・パレードですよ もう痺れました
ボッスの作品も数点あって心は舞い上がる一方
でも 何かが足りない
ない! ない! 『バベルの塔』がないんです!
『雪の中の狩人』もない!
えっ、どういうこと?

展示室を抜けてミュージアム・ショップを覗いたらあるじゃないですか!
巨大な『バベルの塔』のポスターが
レジの女の子に「あの絵はどこにあったの?」と聞くと
「この美術館にはないんですよ」
「えっ、じゃどこにあるの?」
「ウィーン美術史美術館」
ブリューゲルの親父 待ってろ 絶対に観に行くからな

そして、マグリット
これも17年ぶりの再会を楽しみにしていたのに
スカスカでガッカリな状態
辛うじて『光の帝国』を懐かしく観られたことが幸いかな
彼の絵は、個人蔵も多く作品も世界中に出回っているから
考えてみたら当然のことかもしれない

夜は、シカゴから来た彼女とイリノイ州から来た彼と食事を楽しんだ
勿論、ベルギービールでね
憧れの二人に乾杯

posted susumu
01:29 AM | comment(2)

15 05 12

たそがれ清兵衛

たそがれ清兵衛 [DVD]




幕末前後を舞台にした小説や映画で
描かれる人々を見ていると
明治以前とそれ以降では同じ日本人とは思えないほど
大きな精神の断絶を感じることがある


ぼくは『寅さんシリーズ』があまり好きではない
特にシリーズの後半は老けてしまった寅さんの演技が痛々しく
山田洋次という映画監督が渥美清の役者としての才能を
このシリーズに縛り付けてしまったような気がして嫌だった
そんなイメージの監督が撮ったという本格時代劇だから
ちょっと意地悪く観ていたのだけど、、、、、

それは、衝撃だった
魂を揺さぶられるような衝撃だった

監督の、時代劇の新境地を切り拓こうという強い意気込み、
妥協を許さない姿勢が、役者、セット、背景、照明、音楽、場の空気など
あらゆるものに乗り移ってこの映画に結晶していた

人間の弱さ強さ、優しさ恐さ、美しさ醜さが
山田洋次監督でなければ描けない細やかなタッチで見事に描かれている
こんな時代劇、ぼくは観たことがなかった

映画は、主人公清兵衛の妻のお葬式から始まり
藤沢周平の構築した庄内海坂藩の下級武士の貧しい生活が
とつとつと描かれる
ぼけた祖母を労わる家族
朝食の椀の最後は香の物で拭くように清める
こんな生活をついこの間まで日本人は普通にやっていたのだ

白井晟一は「日本人の精神の本質は貧困にある」と語っている
幕末明治の人はその貧困で身を鍛え、心を洗い、
そして磨いてきたのではないだろうか

そんな慎ましやかな生活を送っている清兵衛に
藩主交代劇の間で生じた理不尽な討手の命が下る
妻を亡くして身の廻りも儘ならない清兵衛は
禄高の貧しさから寄せる想いを断っていた幼馴染の朋江に
出立の準備を依頼する

美しく無駄の無い立居振舞を
カメラは静かに追う

やがて準備が整った清兵衛は朋江に想いを告げて
手練の余吾善右衛門が立て篭る家に向かうのだが、、、、

殺陣が恐い
本物の刃物で斬られる恐さがぴりぴりと伝わってくる
田中 珉の鬼気迫る演技が空気を震わせる
(『龍馬伝』での吉田東洋役も凄かった)

映画を観終わって、あまりの感動に、
しかし、こんな地味でローカルな日本映画を
外国の人たちは理解できるのだろうか
彼らは一体どんな感想をもつのだろうかとふと気になった

「無闇に刃物を振りかざさない、静かな、しかし美しい侍の生き方を見た」
「淡々とした日々の中に光る人間の美しさ」
アメリカのレビュー・サイトにはこのような感想が並んでいた

この、静かにじわじわと湧き上がってくる深い感動を
世界中の人たちと共有できることに驚き
また、そのような映画を創った山田洋次監督に
ぼくは更に感動してしまった


失ってはならないものがここにある

posted susumu
09:28 PM | comment(1)

10 05 12

親父の背中

破天荒なひとだった

言葉使いは『河内のおっさん』そのまんま
自分の父親に対しても「ワレ、オマエ」の
どうしようもなくガラの悪い親父だった

母親が病弱で家はど貧乏だったけど
才知も根性も頓知も人一倍あった
悪い奴らをいじめては
文房具や小遣いなどをせしめていたらしい

小学校を出て直ぐに丁稚奉公
18歳で材木屋として独立

それからまもなく21歳で戦争に徴られて
スマトラの北の端の
まだその向こうのニコバル諸島まで行った

敗戦後、帰国してまもなく
他村の娘に懸想して
長男であるにも拘らず
自分の家のことは放ったらかしで
女の家に入り浸り
聞けば「足の白さにムラムラッときたんや」とか
田植えや稲刈りまで手伝って
やがて結婚する

一男もうけるも
祖父と上手く行かず結局離婚

子連れになった親父は
64回見合いしてボクの母を娶る

ボクにはそんな姿はこれっぽっちも見せなかったけど
随分と苦労したらしい
後年、田中角栄の列島改造論の好景気に乗っかって
多少裕福になり
晩年は
母が心筋梗塞で急逝するまで
こちらが恥ずかしくなるくらい
仲が良かった
何処に行くのも一緒だった
「若いときに苦労をかけたから」が口癖だった

母の葬式の日
喪主であるはずの親父は一度も人前に出ることはなく
「親を送るのは子の務めや。お前らが全部やれ」
といって、離れでひたすら酒を呑んでいた

誰も近寄れなかった

その後、話の上手かった親父が
声を喉頭ガンで失い
目に黴菌が入って右目を失い
母が逝って5年目の春に
病院のベッドでただひとり
他界した

ボクは気性の激しい親父と一緒にいても
三日もすれば直ぐケンカになるので
何でもできる独立自尊の人だからと勝手に割切り
最後まで一緒に暮らすことはなかった
今は痛く後悔している

追い越せなかった親父の背中が
いまもごつく熱い

補記:
5月8日は父の命日
以前mixi(2007/7/6)に載せた文章を加筆修正して此処に掲載した
そうか、あれは父が教えてくれたのかもしれないなあ

posted susumu
02:39 AM | comment(2)

09 05 12

「断捨離」という言葉がどうも、、、、

最近ハウスデザイナーやインテリア関係の人が片付けの極意として
或いは人生訓として「断捨離」という言葉を口にするのをよく見かけるけど
ぼくにはその語感がどうもしっくりこない。

語感などどうでもよいなどと云うなかれ。名は体を表わすと云うではないか。
その字面や発音からは乱暴で雑なイメージしか浮かんでこないのだ。
何故そう感じてしまうのだろうか?

よく似た三文字の熟語に「序破急」「守破離」がある。
これらは物事の道というか極意を示す言葉として有名であり
共に各段階での要諦が一字に抽出されていて語感もいい。

これらの熟語を構成する漢字に注目してみよう。
三つの漢字を比較してみると
必ずひとつは他と違ったベクトル(方向)の漢字が入っているのが分かる。
「序破急」では「破」が、「守破離」では「離」がそれである。
これを試しに矢印で示してみるとこんな感じになる。
序破急=→↑→
守破離=↑↓→
前者の場合、「序」と「急」は共に速度・時間に関係するから同じ方向を、
「破」はその流れを破るので異なる方向として表現できる。
後者では、「守」と「破」は対極の行為として其々逆方向を表わし、
「離」はその二極の集合を超えた自由な方向を示している。

では、「断捨離」はどうだろう。
その意味するところは
「不要な物を断ち捨て離れて身辺を整理すること」らしい。
片付けの極意のみならず人生訓としても有効とのこと。
この説明を上記の如く矢印に置き換えてみると、
三つの漢字は共に物に対する拒絶として同じ方向を示しているから
断捨離=→→→
となる。この言葉の持つ強烈な指向性が良く分かる。

物事を修めるにはいくつかの段階がある。
まず初めは、学ぶ、倣う、習う、覚える、など基本を習得する段階。
次は、それを展開、実践、或いは否定して視野を広げる段階。
そして、習得した方法知識に拘らない飛躍の境地。
極意には必ずこの新しい境地への跳躍があるはず。それがあっての極意だろう。

でも「断捨離」という言葉はそのような過程を求めてはいないように思える。
とにかく、ひたすら捨てることを強調している感じがする。
それなら「断断断」でも「捨捨捨」でも良かったのではないだろうか。
また、「だんしゃり」という発音も印象的である。
実に「バッサリ」といった感じが出ていて情け容赦がない。

なるほど、人と物との関係を整理するのは並大抵のことではないから
案外これでこの熟語を造った人の狙いどおりなのかもしれない。
でも、、、、

たしかに「断捨離」という言葉の持つ強い語感で物を捨てれば、
身の周りは片付くでしょう。
というよりドラスティックに方が付いてしまうだろう。
でも、それで本当に納得のできる片付けができるのだろうか。
きちんと物とのお別れができるのだろうか。

人と物との関係はもう少し深くデリケートなものだとぼくは思う。
恐らく、物に人格を見たり強い執着心を抱くのは人間だけではないか。
見方を換えれば、その拘りが人間の個性に繋がっているとも言える訳で
ファッションや化粧、装身具もまた同じである。
だとすると、「捨てる」ばかりではなく
「捨てない」ことや「拾う」ことも含めた人と物との関係を見出さないと
場合によっては、心に大きな傷を負うことになるのではないだろうか。
「断捨離」という言葉があまりにも強く厳しい語感を持っているだけに
ふと気になった次第である。

posted susumu
09:23 AM | comment(0)

02 05 12

7本指の要潤

要 潤が面白い(本名なんですね)。仮面ライダーの頃からファンだけど
「うどん県」副知事もタイムスクープハンターもいい味出してる。
もちろん「龍馬伝」の沢村惣之丞も良かったねやー。

けんど、やっぱり主人公やってほしかったなぁ。
あの表情、なんか茫洋としていて
良い人なのか悪い人なのか、真面目なのか不真面目なのか
ちょっと掴みどころのない懐の深さがあるじゃないですか。
面白いことも面白くないこともさらっとやってしまうし
ボケるのも上手いし。
これって、もー龍馬そのものですやんかー。
スタジオアルタの入口で警備員のアルバイトをしていた彼を
タモリさんが発見したちゅう話はまっこと頷けます。
きっと他の人にはない妙なオーラが立っていたんでしょうな。

で、何気にtwitterを覗いてみたら7本指の要潤が!
凄いわ、この人。

posted susumu
01:12 PM | comment(1)