cafe ICARUS

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◆雨の湖水地方

ベルゲンの港でニューキャッスル(Newcastle)行きの船を待っていると
目の前に不思議な青年が佇んでいるのに気がついた
バックパックからカットボード(まな板)とパン切り包丁を取り出し
膝の上に載せてパンとチーズを丁寧に切り分けて
悠然と食べはじめたのだ

お互い目が合って話し掛けた

生まれはオーストラリア、名前はロス(Loss)といった
彼は23歳、オーストラリアを出てもうかれこれ5年
彼の家は大きな農場でセスナ機も所有している
16歳で結婚して国には子供がいるとのこと

別に離婚したわけでも逃げてきたわけでもない
作家志望でいろいろなものを見たり経験したくて旅に出たらしい
農園で働いて金が貯まったら旅を始めて
お金がなくなったらまた何処かの農園に行って住み込みで働きお金を貯める
そんなやり方で彼はこの旅を続けてこれまで61カ国を放浪し
あと1・2年したら家族の待つオーストラリアに帰るらしい

後にも様々な国のバックパッカーと知り合ったけど
オーストラリア出身者には国を出て何年という猛者が多かった
南半球の国だからどの国に行くのも遠く費用もかかる
だから、一度出たら貪欲にあちこち見て回るようだ

イギリスへの入国審査はとても厳しかった
滞在先の後見人が必要だとか言われたので困った
所持金を示し職業を説明してようやく数ヶ月のビザを発給された
やはり不法滞在・不法就労が多いのだろう

船は無事ニューキャッスルの港に着いた

ロスはここのユースに泊まってから北へ行くらしい
ぼくは西に向かって、ナショナルトラスト発祥の地である湖水地方に立ち寄ってから
ロンドンに向かうことにした

船を降りてからも荷物の管理やチケットの件など
ロスには随分と世話になったけど
いざ別れの段になっても気の利いたお礼の言葉が言えず
そのことを彼に詫びたら
「大丈夫、それが短い言葉であっても心の底から出ているものなら問題ない
ちゃんと伝わっているから
それと、英語力を高めたいなら簡単な方法があるよ
一、英語の本を読むこと
二、日本人と極力話しないこと
三、相手の言うことをしっかりと聞くこと
これだけやれば直ぐに上達するよ」
と言った
ぼくは後にこれを実践したけど効果は抜群だった

ニューキャッスルの駅でロスと別れたぼくは
湖水地方の町ウィンダミア(Windermere)行きの列車に乗った

それにしても彼の生き方はどうだ
実に堂々たるものだ
ただの旅行でもなく放浪のための放浪でもない
お金がないのに貧しくはない
彼には旅がまるで学校のようでさえあった
あてもなくロンドンに向かう自分はどうだ
と考えさせられた

列車は
なだらかな稜線をもつ山の連なりの間をすり抜けていった
森も何処かやさしく荒々しさがない
美しいけどそれ自体が計算されたような人工的な匂いのする風景だった
ぼくはふと、この国が産業革命の頃に
それまであった森の樹木を切り尽くしてしまったことを思い出した

ウィンダミアに着いたときは午後8時を回っていて小雨が降っていた
しかも土曜日、まずいなあ
と思いつつ閉館間際のインフォメーションで尋ねたら
案の定、ホテルは総て満杯

街中を歩いてみたが雨宿りできる場所もない
仕方がないので駅に泊めてもらおうと思って行ってみると
入口は既に閉まっていて駅員らしき人の姿もない

あてが外れて駅前で困っていると警邏中のパトカーがやってきた
一瞬迷ったが、警察署に泊めてもらおうと思い立ち
ぼくの方から近づいて行った
話は親切に聞いてくれたが返事は意外なほど明快に「ノー」だった
何度頼んでも返事は変わらなかった

結局ぼくはその夜、バス停のベンチの陰で寝た
この旅で初めての野宿だった
空気は冷たく
小雨が止むことはなかった

posted:susumu090108

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