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◆『妄想力』 金沢 創

妄想力   ヒトの心とサルの心はどう違うのか


「妄想」という、聊か危険な語感とは裏腹にこの想念が人間に寄与する部分は大きい
寧ろ、「妄想」こそが人間を他の生き物と区別しているのではないか
そんな思いがあってこの本を手に取った、、、、、

著者は「妄想力」という造語を提示することで
妄想のもつ力や可能性を様々な例を通して説明する
それ自体は読み易いし面白い
話の通じない恋愛や鏡の話とか人の気持ちの分かるネコの話とか
同時に、分かり易い分内容が表層的に流れているような印象もあった
特に気になったのは、彼が折角「妄想力」という言葉を提示しながら
「想像」や「想像力」という言葉とごちゃ混ぜにして使っている点だ
「妄想」と「想像」という二つの異なる言葉があるように
各々のニュアンスは違うものだと思っているぼくにとっては
それが、両者が等価、若しくは後者が前者の域内にあるというのであれば
それはそのように規定して運用してほしかった
「妄想力」という言葉が刺激的なだけに残念に思った所以である

扨、では人はどのようにしてこの「妄想力」を手にいれたのだろうか
著者は「鏡映像認知」などの話を通して
「心の世界、感覚の世界があると感じるシステム(=「妄想力」?)を、
あるとき学習によって身につけた」(括弧内は筆者)
と書いているがどうなんだろう
人は脳の肥大化とともに想像し空想する感覚を手に入れたのだろう
だが、それは同時に妄想する力を手にすることでもあったのではないか
想像力が高ずれば妄想になるだろうし
妄想する力がなければ発想の飛躍はないだろう
妄想力と想像力はまさに諸刃の剣で片刃では成立し得ない
そしてこの部分こそは学習によってコントロールするよりなかったのではないかと思う

今思うと、著者の目的は妄想と想像の違いを云々することではなく
自分を外側から認知する(つまり他を理解する)感覚のひとつとして
想像力や妄想力の重要性を説きたかったのかもしれない
これはこちらの「妄想力」に対する妄想が過ぎたのかもしれない

posted:susumu261107

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