cafe ICARUS

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◆教会はパイプオルガンのように


アムスに行って買い物をしたりして
数日を過ごしてから
ぼくは始めて踏みしめたヨーロッパの都市
コペンハーゲンに
再び向かうことにした
あれから4ヶ月が経っていた

アムステルダムで買ったブーツが合わない 
(結局メキシコでお気に入りのウエスタンブーツを買うまで辛抱した所為で
左足の小指の筋を痛めることになるのだが)
歩くのが辛い

でも、見たい建物がコペンハーゲンにあった
1913年のコンペ優勝作品(設計P.V.J.Klint)であるGrundtvig教会だった
ぼくはこの教会をニコラス・ペブスナーの本で知った
昨日アムスで知り合ったカナダから来た青年デイルにその写真を見せると
彼も見たいというので一緒に行くことにした


駅から1時間程歩いたところに
その教会はあった
全体が土肌っぽいブロックで構成されていた
それはまるで巨大なパイプオルガン
インテリアもこの独特のブロックのみの
誠にシンプルな造形
外観の造形的なイメージとは裏腹に
内部はロマネスクの雰囲気が漂っている
古くて新しい感覚
数学的なバランスと強い対象性
どこか宇宙に飛び立つスペース・シャトルにも見える

ロンドンで訪れたセント・ポール大聖堂や
パリのノートル・ダム寺院など
いずれも重厚な装飾に最初は圧倒されたけど
そのうちそれらが聊か食傷気味になっていたこともあって
このシンプルなデザインには強い好感をもった

建築は19世紀の新古典主義から近代主義に至る過程で装飾を排する
それは建築の大衆化でもあった
それまで装飾は貴族や宗教などの権威の象徴であった
だから
西洋において無装飾とは装飾と戦って勝ち得たものなのだ


日本の簡素な空間構成はこのようなコンフリクトの結果ではない
もっと自然なものだ
装飾に関する考え方も対極的なものではない
地味な着物の裏地に隠した派手な柄のように
描かない余白に雄弁な表現を見るがごとく
水平に考える
日本のエロスが異彩を放つ理由はこの辺にあるのかもしれない


帰りは足の痛みもありバスにした
デイルとは随分と気が合った
再会を楽しみに駅で別れ
ぼくは独り
大伽藍の待つケルンをめざす



posted:susumu100612

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