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◆『デザインのデザイン』原 研哉

デザインのデザイン




以前から「デザイン」という言葉が気になっていた。
デザインに対する意識も使われ方も何処か軽くて薄っぺらく、
本当にそうなのだろうか、と。

昨年、何の気なしに入った書店で偶然見つけて
「こんなタイトルの本があったのか」
と思わず衝動的に買ってしまった一冊。

デザインというものを考えるとき思い浮かぶのが
「デザインで飯が食えるか」という乾いた言葉である。
「デザインは表面的なものであって、生きることの本質には関係ない」
という意味に聞こえるが、ぼくはこの言葉に全く同意できない。

確かに、いま巷に溢れているデザインの多くは
時代や商業的ニーズに合わせた見た目のカッコ良さや流行(はやり)に
答えたものだけど、それは消耗品としてのデザインであって
デザインの本質ではないと思う。

では、デザインの本質とは何か。
いや、そもそもデザインとは何か。

この本は、そのようなところに意識を抱きながら
デザインの持つ意味を
著者の企画や様々な作品との関わりを通して表明して行く。
その態度は、決して居丈高ではなく、極めて物静かで確かだ。

例えば、その中で提示される、
ローマを最上部にして日本を最下部に置いた地図、
つまり西を上に東を下にした世界地図だけどこれが何とも秀逸で面白い。
放浪時代に様々な世界地図を見たけどこんなのは初めて。
(国境も当事国によって全く異なるから、世界地図はひとつではない)
様々なデザインの要素が日本という国に収斂して行く様が
まるでパチンコ台でも見ているかのように明快に示される。
いつも見ている世界地図の、見る角度を少し変えただけで世界が一変する。
デザインの妙である。

また、新しい生き方や住まい方をデザインする
家具や小物の背景にあるデザインの意図や試みも興味深い。
デザインとしての形態の背後にある「デザイン」がしっかりと語られる。

最後の「デザインとは何か」という章で
著者は、デザインと経済の関係を取り上げて
デザインが経済の僕(しもべ)になった経緯について言及する。

勿論、経済を抜きにして現代の社会は考えられないけど
では、経済が総てに優先するのかというとそれはちがうだろう。
たしかに所有欲を満足させるデザインもあれば
存在を誇示できるデザインもある。
高級であることが全てのデザインもある。
でも、それはデザインの一面的な部分に過ぎないし、
それがデザインの総てではない。

デザインとは誰のためのものか。
人間の為のものか、はたまた経済のためのものか。
或いは、経済を優先する人間のためのものか。

その、人間社会を牽引するかに見えた市場経済は今
サブプライムローンの破綻をきっかけに急降下し
あっという間に全世界が「100年に一度」の経済危機に直面している。

このとき、デザインはどのように扱われるのだろうか。

消費の対象として存在してきた経済の為のデザインならば
経済の減衰と共に色褪せて行くだろう。
その一方で、こういった大量生産大量消費の時代の終焉と共に
人間の暮らしや心を豊かにしてくれるような
ライフスタイルも含めたデザインが
最も大切になってくのではないだろうか。

例えば、茶碗や箸のデザインを考えてみよう。
日常使われる消耗品だけど、だからこそ
その形やバランスは見事に洗練されていて無駄がない。
よく手に馴染みストレスがないし、飽きることもない。
箸置きには食を楽しませてくれるユーモアがある。

ここにデザインの本質があると思う。

デザインの主役はやはり人間であるべきだし
デザインの目的は人生を豊かにするものであるべきだと思う。

経済の低迷と共にデザインに対する見方もシビアになって行くだろう。
でもそれは、冬の冷たい水に晒されて友禅染がはじめて鮮やかになるように
新しいデザインが生まれるチャンスに違いない。


本年も宜しくお願い申し上げます。

posted:susumu130109

コメント

本年もよろしくお願します。
デザインで思い出すのが「グッドデザイン賞」です。
この賞について以前辛口のコメントを読みました。
「グッドデザインはあくまで産業界主体の賞のありかた、確かに人間工学と物性のグッドマッチングだが、人間性、民族性、歴史性、習俗性から見たグッドデザインにではない。」

建築でいえば、「白川郷の合掌造り」と黒川 紀章の建築でしょうか?
また・・・

posted: 伊久雄
January 18, 2009 08:40 PM




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