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◆最後の誘惑

最後の誘惑 [DVD]




もう何度観たことだろうか

人間イエス・キリストの心の葛藤が
そのまま映像と圧倒的な音楽になって
観る者の魂を激しく揺さぶる


この映画は、マーティン・スコセッシが
イエス・キリストを生きた人間として
その苦悩に満ちた波乱の人生と
最後の瞬間に彼の前に差し出される美しくも残酷な誘惑を
赤裸々に描いてゆく

神に選ばれしもの
それ故の栄光と苦悩
そして命をもって達成される神の使命

何故彼が選ばれたのか
何故彼は苦しまなければならないのか
そして最終的には命を差し出すことによってしか
購えない罪とは何なのか

映画は中近東の砂漠の原野を舞台に展開してゆく
放浪時代に訪れた死海やエルサレム、ナザレの風景が
独特の音楽とともに蘇ってくる
あの懐かしくも荒涼たる風土こそが
乾いた人間のこころに
博愛の手を差し伸べようとした稀有のひと
イエス・キリストを生んだのではあるまいか

キリスト教社会のヨーロッパでは
具体的に描くことすら憚られるイエス・キリストを
(「ベン・ハー」で登場するイエス・キリストの顔が映ることはない)
真正面から生身の人間として描いたマーティン・スコセッシ監督の
勇気と深く真摯な思いが胸を打つ。
また、イエス・キリストを「西方の人」と呼び、
ひとりの詩人として評した芥川龍之介を思い出す。

人間イエスを全身全霊で演ずるウィレム・デフォー
初めは何処か違和感を抱いてしまう彼の姿形も
やがて「その人」として見えてくるから不思議だ
そして、何といっても
ユダ役の怪優ハーベイ・カイテルの演技が見事だ
彼もまた大きな苦悩をかかえ
こころを鬼にして
神の使命を達成すべくイエスを十字架に導いてゆく

そして磔刑されたキリストが最後に見たものとは、、、、

全編に流れる
ピーター・ガブリエルの曲が本当に切ない
胸を打つ
こころがざわつくとでも言おうか
穏やかではいられない何かが心の中に沸き起こってくるのだ
今でも、無性にこの音楽が聞きたくなる


明日は聖夜

posted:susumu231210

コメント

DVDで2回鑑賞しました。

ユダとイエスの立場が最初は全く逆で、その描き方に驚いた。
ユダはハーヴェイ・カルテルそのままのイメージで少々荒っぽいけど
愚直で何処か優しく、イエスとの強い絆が描かれていた。
(いや、友情と師弟愛だけか・・?)
イエスも大声出すわ、乱暴するわ、逃げ出すわ、
それがそのまま苦悩と葛藤の姿で実に人間っぽい。
『自分で選んでくれと言ったことは一度もない』
誰だってそう思う。

『最後の誘惑』という意味が最後の最後にわかった。
こんなラストだとは。

苦しい映画でした。
でも目を逸らすことが出来なかった。

同じユダヤ人が嘲笑う中
ゴルゴダの丘に十字架を背負い向かうイエスの表情が
まだ何処かで受け入れることの出来ない苦悩が
苦しくなるほど伝わる。
あの苦痛の中、
生身の人間としての、男としてのごくごく普通の
当たり前の日常が・・・
正直、「ああ、良かったね」と思ったのに。

足を掬うものの正体があまりにも普通すぎて気づかない。
それが返って怖い。
あのまま人間として死なせることが
悪魔の目的だったということですか?


観ててふと思ったことは
歴史を見ても現実でも
自分や家族を超えて、もっと大きなものの為に
命を投げ出す大きな愛を持っているのが
『男』なんだなあ、ということです。
女はどこか現実的で『命を繋ぐ』範囲というか
それが母性本能だったりするのですが・・・。

願わくばご存知の薀蓄を
色々教えていただけたらと思います。

posted: pukupuku
February 26, 2011 03:20 PM

もう全く音楽が最初でした。
その徒ならぬ雰囲気に衝撃を受けて何度も聞きました。
そして、大分経ってから観た映画に更にびっくりしました。

実際のジェンダーを超えての「男」性「女」性の存在は確かにありますね。
その「男」が大儀に生き「女」が小儀に生きるかというと
それは一概には言えないように思います。
何故なら「女」はより大きな(普遍的な)母性を内包しているからです。
ただ、これもその母性の普遍性が顕在化しないと矮小なそれに終わる訳ですが。

この映画では、
天使の戯言なのか悪魔の囁きなのかは別にして、
彼はその「声」の導きのままに生き、語り、やがて磔刑死を迫られます。
が、博愛を説く彼が個人的な愛に逃れることは許されません。
母性も博愛も、極めて個人的な感情が出発点となって
より普遍的な観念へと昇華されたものであるが故に
出発点である個人に帰着することもまた簡単にできてしまう。
その感情の境目に揺れ動く「人間」、イエス。
そして、それを超えなければ「人間」を超えることはできないし
人々を導くこともできない。
だから、彼のあの死は終わりではなく、
完成と始まりだったのではないかと思ったりして。

何故かこれを観ると
『2001年』を続けて観たくなります。

posted: susumu
February 28, 2011 06:51 PM

ありがとうございました。
確かに一概には言えませんね。
大儀・小義という分け方だけではなく、(それも含んだうえで)
向かう方向に性差を感じたのです。
うまく言えませんが。

『感情の境目』

『完成と始まり』

この二つのキーワードで
心の中のモヤモヤが少し晴れたような気がします。
まだちゃんと理解できてはいませんけどね。
改めて読んでみるとアップされたのは
イブの前夜。
実際に観てみて、その日に
この映画をチョイスしたセンスに驚きました。
ほんの少し浮かれたクリスマスイブが
恥ずかしくなりました。

posted: pukupuku
February 28, 2011 11:21 PM




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