cafe ICARUS

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◆草葺の家

ルクセンブルグを離れてブリュッセルに向かう
でも、先日車窓から見た草葺の家がどうしても頭を離れない
ぼくは予定とは反対にアムステルダム行きの電車に乗った

日本を出てからずっと
目にするものも泊まるもの石造りの建物が殆どで
聊か重苦しい気分がしていたところにあの草葺の家は妙に新鮮だった
勿論、ヨーロッパにも木造建築の文化はあるし草葺家屋の伝統もある
しかし、あれほど見事な草葺屋根を車窓間近に見るのは初めてだった

一軒の家にお邪魔した
快く受け入れてくれ家の中まで案内してもらった
茅なのか何なのか素材は分からなかったけど
茶黒い重厚な屋根が草葺独特の優美な曲線を描いて
真っ白な壁にどっしりと乗っかっている
壁にも十分な厚みを感じる
庭の手入れも行き届いていて美しい
大きな屋根に白い壁 家の原型みたいだ
白井晟一の初期の住宅がこんな感じだったなあ

窓、開口部は全体に小さい つまり壁の存在感が大きい
ここが日本の家と違うところ
垂直面を分解すれば、柱、壁、開口部ということになるけど
日本の古い家の、壁の占める割合いは低い
ぼくの家なども、建具を開け放てば殆ど壁のないスカスカの状態になる
これは主に豊富な木材と高温多湿の温帯気候に対する工夫である
高緯度の北欧や北海道などでは、逆に熱損失を防ぐために壁の存在が重要だ

ヨーロッパの組石文化が、鉄とコンクリートの普及によって
壁を、分厚い面ではなく線的に捉えることができるようになり
開口部に対しても自由な発想ができるようになった
壮大なゴシック建築に見られる巨大なステンドグラスも
フライングバットレスの工夫がなかったら出来なかったことだから
組石造にとっての横長の大開口は簡単に手に入るものではなく夢であった

西洋の建築文化が苦労して手に入れた空間が日本には普通に存在していた
みたいなことが19世紀から20世紀初頭にはあって
日本の建築空間が近代建築に与えた影響は大きい
深い軒の向こうに水平に広がる庭の風景は当り前ではなかった
コルビジュエのドミノ・システムに壁はないし
水平に連続する窓はモダニズムのシンボルだった

しかし、この壁の少なさは脆弱な耐震性に繋がり
現在は一定の壁量を確保する規定が建築基準法で定められている

家の中はほの暗く落ち着いた空気が流れていた
今手元にそのときの写真はないけれど
たしか屋根の上には草花が一二輪咲いていたような


もう一軒の家も訪ねて様々な思いに耽りながら
ぼくはブリュッセルに向かう電車に乗った
憧れの人に会うために

posted:susumu240412

コメント

ヨーロッパに茅葺家屋の伝統があるなんて知りませんでした。
丸いフォルムが美しくて、なんともカワイイ感じのお家ですね。
ふと探偵ポアロはこんな家に住んでいたのでは、と
思ってしまいました。

『一軒の家にお邪魔した』とありましたが
いきなり『見せてくださーい』とお願いするのですか?
家の中まで見せてくれるとは、フレンドリーな人達ですよね。
きっと狼みたいな風貌だったろうに(笑)と
昔の姿から勝手に想像。

最近のファルーカは、写真を入れてくださるので
雰囲気がよく伝わります。
憧れの人?
やはり建築がらみでしょうか。
続き、待ってます!

posted: pukupuku
April 24, 2012 01:34 PM




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