cafe ICARUS

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◆ナショナル・ギャラリー

ロンドンに来て比較的早い時期にぼくは、
楽しみにしていたトラファルガー広場の前にあるナショナル・ギャラリーを訪れた。

海外に出て楽しいことは沢山あるけどそのひとつに、美術館巡りがある。
美術の教科書や百科辞典の巻末にあるような印刷の悪い美術集でしか知らない
名画の数々を実際にこの目で見ることができるのだからこれはたまらない。
ナショナル・ギャラリーは、是非訪れたい美術館のひとつだった。

行ってまず、入館料が自由(フリー)で定められていないというのに驚かされた。
お代は観た貴方のご自由に、というわけだ。
規模や維持管理を考えると、とても無料などとは言ってられないはずだけど
このあたりに文化に対するイギリス人独特の気取りと気概を感じた。

時代別に区切られた展示室にはお馴染みの名画がずらりと並んでいた。
ラファエロ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、ドラクロア、ルーベンス
セザンヌ、モネ、ルドン、ターナー、ドガ、ゴヤ、レンブラント、ピカソ、ゴッホなどなど。
なかでもカラパッジョの存在感は凄かった。
数はすくなかったけど圧倒的な雰囲気をあたりに撒き散らしていた。

ふと思ったことがある。
ものの美しさや価値は教えられるより自分の目で発見した方がいい。
そして、それからその理由を探してみることだ。
苦労もするけど、その分発見のよろこびも深いし収穫も大きい。
それから学んでも遅くはない。

その昔、フランス文学の権威である桑原武夫が何処かで書いていたのだけど
何か研究目的などあって海外に出かけるときに、
彼はわざと十分な下調べをしないで思い立ったそのままの気分で
目的の場所に飛んで行くらしい。
そうすると余計なフィルターを透さないで自分の素の目で見ることができる。
帰ってから調べてみると、勿論調べとけば良かったということもあるけど、
繋がらなかった事柄が立体的に繋がったり、見たものの事情が飲み込めたり、
そうして見ないで調べるより返って見てから調べた方が理解が早まるのだ、と。
成る程な、と思った。

今回の旅の意義はどうやらこのあたりにありそうだった。
見る前に飛べ、もっと見ろ、と。

扨、名にしおう数々の名画を堪能するなかで、
展示室を繋ぐ通路部分に瘤のようにできた小室がひとつ。

他の展示室の床は全てフローリングなのに、
ここだけはカーペットが敷き込まれていて足音もしない。
照明も細心の注意が払われて薄暗く
一脚のベンチが置かれているだけ。
流れる時間が明らかに違う。

たった一枚の絵のために設けられた特別な展示室、
それが第七号室だった。

そこで至宝のように大切に扱われている絵は、
レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサン、『聖アンナと聖母子像』。

誰もがその部屋に入ると息を飲み沈黙してしまう。

それはもうデッサンというより「紙の上に描かれた彫刻」と言っていい。
人物がキャンバスを突き破って盛り上がってくる。

デッサンであるが故に皮膚の下の深層にあるものまでリアルに見えてくる。
それが生き物のようにムクムクと迫ってくる。
その凄さに自分の体が震えているのがはっきりと分かる。

恐ろしいまでの表現力、洞察力、探究心、執着心、完全主義。

こころを落ち着けてじっと眺めていると、
何度も重ねられた、流れるように流麗な木炭のタッチに
天才レオナルドの手の動きを感じ、やがて息遣いが感じられてきて
はたと自分が彼と同じ場所に立っていることに気付かされる。

狂おしいまでの瞬間。

それはまるで、ホログラム再生のコードでもあるかのように、
その線を正確になぞることによって
こちら側にいたはずのレオナルドが鮮やかに浮かび上がってくるのだった。
いや、ぼくには確かにこちら側で描く彼の姿が見えた、気がした。

辿ろうとしても辿りきれないあまりにも美しい見事な線。
感動できる喜びと届かない世界を覗き見る瞬間。
どれだけ其処にいたか分からない。

すっかりナショナル・ギャラリーに魅せられたぼくは
ロンドンにいる間に何度かこの場所を訪ねた。
その度にこのデッサンに見入った。
そして、その度に入館料フリーがどれだけ大切なことかを想った。

posted:susumu260208

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