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◆錫製のデコイ

「ロンドン」からのつづき

彼の名はジョン・パティスンといった。
政府との契約で主に第三世界に英語を教えに行っているのだという。
それは異国の文化や習慣に触れたいという彼の趣味と実益を兼ねていた。
だから、外国人であるぼくに気軽に違和感なく話し掛けてきたのでろう。

また、そいういう人だから、ぼくのいうこともよく聞き十分に理解してくれた。
すっかり意気投合して、ロンドンにいる間に何度も彼と会った。

彼の住まいは郊外に住む彼の伯父のところにあって、
出会ったときはロンドン市内にフラットを探していたときだった。
ぼくが設計の仕事していることを知って、彼はフラットの見分に誘った。
仕事柄興味もあるので同行する約束をして別れた。

二日後再会して候補になっていたフラットを3ヶ所見てまわった。
間取りに大差はなかったが、すべては壁と窓と配置する家具とのバランスなので
家具のレイアウトを想定してメジャーで測って具体的にアドバイスした。

何より驚いたのは築後の年数で、100年とか150年とかは当り前で
築200年というのもあった。
みんな外観は建った当時のままで内部をリフォームして使い続ける。
古い方が返って人気があるみたいだった。
窓枠やカウンターの、何度も塗り重ねられた油性ペンキの層が半端じゃなく
それが木製だと俄かには信じがたい程にぶ厚かった。

今でこそロンドン市内でも超高層のビルが建っているが、
ぼくがいた当時は、
チャールズ皇太子の、高層ビルを嫌悪する発言が取り上げられたりしていて
テームズ川の周辺の再開発さえままならない状況だったから
大都市なのに驚く程高層ビルが少なかった。

ランカスターでスタンレーさんが「イギリス人は変化を嫌う」
と言っていたのを思い出す。

候補に上がっているフラットの近くにあるパブで昼食を取った。
店の中は船の材料を構造材や造作に使ったユニークな雰囲気だった。
近くの大学の教授連中が生徒を引き連れてくることが多いらしい。
そこでぼくらはビールを飲み魚料理を楽しんだ。
そのあと再び街に出て別のフラットを訪れてチェックした。

夕食は新しくできたテームズ川の岸辺にあるミュージックホールに移動して
ジャズライブを聞きながら取った。
イギリス人とジャズというのは、たとえばフレンチ・ジャズと呼ばれる程に
ジャズが浸透しているフランスに比べると
いまいちピッタリこないように思ったが、そうでもなかった。

後日、ジョンが決めたフラットへの家具の搬入に立ち会い
レイアウトを手伝った。

数日後、フラット選びのアドバイスのお礼ということで
彼の70歳を越える伯父さんのお家にお邪魔して
一緒に食事をすることになった。
伯父さんはもうリタイアしているけどその昔工業デザイナーだったらしく
ぼくのアドバイスの内容を聞いて興味を持ったようだ。

彼の家はロンドン郊外の一軒家で、ゆったりとした庭を構えていた。
少し腰は曲がっているが優しい笑顔を湛えた老紳士だった。
その笑顔は、ひょんなことから甥っ子と知り合ったこの奇妙な東洋の友人を
快く出迎えてくれた。

招き入れられた室内は、如何にも彼がデザイナーであったらしく
綺麗に整理されていて実に気持ちよかった。
俄かに片付けたものではないのは直ぐに分かった。

食事をしながら、ウィリアム・モリスと日本の関りや日本の建築のことなど
デザインに関する様々な話を聞いた。
そのとき、ぼくは自分があまりにも日本のことを知らないことに愕然とした。
伯父さんは学者ではなかったけど、学校でデザインを教えてもいたから
工芸や家具に対する歴史観や目はしっかりしていたし
日本のデザインのこともかなり詳しかった。

西洋と日本の違いを説明するのに、
そのつもりはないけど、やはり禅や仏教を背景とした、
西洋から見たらエキゾチックでミステリアスな表現になってしまう。
それはあまりにもイージーなことだ。
観念的なことをきちんと表現するにはぼくの英語力では無理があったが
それにしてもお粗末であったのは否めない。
いや、それは、知っているか知らないか、みたいな知識のことではなく、
日本で生まれ育ったオリジナルな感性とでもいうか、
そういうものとしっかりと向き合った経験や知恵がないということだ。
今なら少しはましな受け答えができたのではないだろうか。

それでも、小綺麗な庭を眺めて
如何にもイギリスらしい午後の紅茶を飲みながらの会話はとても楽しく
これからの自分を考える上でも随分と刺激になった。

別れ際に、
伯父さんは、彼が昔デザインした錫製の小さなデコイをプレゼントしてくれた。
絵皿もあったのだけど、ぼくの旅がこれからどうなるか分からなかったので
壊れないものとして選んでくれたものだった。

また会うことを約束して彼らと別れたが、それが最後になった。

ジョンはぼくの実家に何度か手紙をくれたみたいだけど
放浪を続けるぼくからの返事はなく
彼もまた、英語の教師として東南アジアや中東など転々として行ったみたいで
やがて連絡も途絶えてしまった。

日本に帰ってから数年経っただろうか。

「イギリスに行く」という友人がいたので伯父さんへの託けを頼んだ。
別れるときに、「日本に帰ったら何かお返しをしたい」と言ったら
「日本の焼き物がいいな」と答えた伯父さんの希望を叶えるものだった。

ただ送るのではなく、ぼくの友人に届けてもらえば、
ちょっとしたサプライズになって伯父さんは喜ぶだろうし
ぼくの近況をあれこれと尋ねるだろう、と思ったのだ。

でも、残念なことに連絡がとれなかったみたいで
友人は贈り物をそのまま持って帰ってきてしまった。

仕方なくぼくは割れないようにしっかり梱包して
その焼き物をイギリスに送った。

暫く経って、
ロンドンの郵便局からその品物が返送されてきた。
一通の手紙が添付されていた。

そこにはこう書かれていた。
「宛名の人は既に亡くなっています」

永遠に届かないお返しになってしまった。

posted:susumu130208

コメント

風のファルーカ
面白くて、一気に読んでしまいました。
若い頃、あちこち行かれて色々な経験をされたのですね。イギリスに焼き物をお礼に送ったら亡くなられていて返送されて来たお話は切ないですね。同じ年代なので「自分はその頃どうだったんだろう」とちょっと思ってしまいました。
びっくりされるかもしれませんが、
東京デザイン研究所で同級生だった者です。

posted: pukupuku
April 30, 2008 08:43 PM

pukupukuさん
コメントありがとうございます。
殆ど誰も読んでいないんじゃないかと思いつつ
書いていたのでびっくりです。
しかも東京デザイン研究所の同窓だなんて
懐かしくも更にびっくりです。
なんかまた書く気になってきました。
これからもよろしくお願いします。

posted: ssm
May 1, 2008 02:13 AM




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