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◆『アースダイバー』 中沢新一

司馬遼太郎の小説はどれもこれも面白いけど
 それ以上に彼のつけるタイトルが上手い。
 『坂の上の雲』『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『功名が辻』など
 読む前からわくわくしてくる。
 中沢新一という人もまたタイトル命名名人のひとりだと思う。
 『森のバロック』『哲学の東北』など、心の何処かがそよぐ。
 この本のタイトルもいい。
 「地面に潜る」っていう感じがすごく刺激的だ。             

このような本が出版されていることは
『ほぼ日刊イトイ新聞』の記事を読むまで全く知らなかった。
で、その日のうちに書店に走った。
「潜る」といっても実際に地面を掘ったり潜ったりするんじゃなく
現代の地図に縄文海進期の時代の地形と遺跡をラップさせて
東京を徘徊するお話だ。
そうすると、今まで見えてこなかった地霊ともいうべき強い過去との繋がりが
浮かび上がってくるのだ。
それが、まるで少年時代の宝探しのように心ときめかせてくれる。

この本のキーワードは、地層と地勢と地図だろう。
各時代の層が積み重なって出来上がるのが地層だけど
各層が絶縁している訳ではない。
いや寧ろ深い繋がりのなかで綿々と地表に語りかけてくるのだ。
また、地勢はその形や姿によって
何か人知を超えたものの存在を時代を超えて人々に暗示する。
そして地図は、設計図にも似て、魔法の杖だ。
地上1.5mの高さにある人間の視点は
地球の表面との対比で考えると同一の平面だけど
幾何学的手法で平面を離れた高みに視座を得て
人間は世界を見下ろすことができ
そこから地勢を呼び起こす力の流れを読み取ることができる。

こうして過去がリアルな存在として眼前に現れる。
しかし、この感覚は発見というよりは同意・共感という感じがつよい。
お寺や神社はずっと前から聖域であることが多いし
伝説や謂れは地勢と深い関わりを持ってやはり過去と直結している。

奈良県の東北部は山深く縄文時代の遺跡も点在し
母方の村やその親戚の村は非常に特徴的で
平地のない入り組んだ山の斜面に不合理な形で点在しており
弥生時代以前の縄文時代からこの集落が存在したことを想像させる。
全く忽然と何の脈絡もなく村や町が形成されるわけではない。
そこには必ず何かがある。

思えば、放浪しているときはこのような夢想と対話の連続だった。
イタリアの山岳都市に故郷の風景と同じ空気を見て
トルコのアナトリア高原ではヒッタイトにまで遡れる地層を足下に感じた。
偶然の出来事からアメリカ先住民族(インディアン)と出会ったとき
彼らは不思議そうにぼくの顔を見て一瞬後には
12,000年の時を隔てて再会した古モンゴロイドの兄弟であることを実感した。

それにしても、この本の凄いところは
そんな過去との邂逅を日本の首都東京に見たことだ。
その見事にリンクする過去と現在の姿は畏れさえ感じさせる。
東京に行くときはこの本に綴じ込まれた縄文地図を携えたい誘惑にかられる。

週刊誌に連載されていたこともあるのか
最後の方でダイビングの力が弱くなった印象があり
これが書き下ろしだったらどんなだったろう、と少し残念。

もう少し細かいピッチで時代遡行する大阪版の地図を作って
中沢新一よろしくアースダイビングしてみるのもいいかも。

posted:susumu010206

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